ピンクニー条約(読み)ぴんくにーじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピンクニー条約」の意味・わかりやすい解説

ピンクニー条約
ぴんくにーじょうやく

1795年10月27日にマドリードで締結されたアメリカ合衆国とスペインとの条約ピンクニーThomas Pinckney(1750―1828)はアメリカ代表。サン・ロレンソSan Lorenzo条約ともいう。国境線とミシシッピ川の自由航行権をめぐるアメリカとスペインとの利害対立は、1785~86年におけるジェイとガルドキの交渉などの一連の努力にもかかわらずしばらく未解決のままであった。

 ところがフランス革命戦争に巻き込まれたスペインは、1795年7月にフランスと講和したとき、米英両国報復を恐れて譲歩し、83年のパリ条約に基づくアメリカ側の要求を受け入れて、この条約で西はミシシッピ川を、南は北緯31度線を国境とすることと、アメリカ船のミシシッピ川の自由航行を認めた。またアメリカ船の積み荷をニュー・オーリンズで貯蔵する権利を、さしあたり3年間、その後は指定する時点まで認めた。これによりアメリカは建国期の難問の一つが解決されて、アレゲニー山脈西部農産物の出荷が容易となり、西部の発展が促進された。

[富田虎男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピンクニー条約」の意味・わかりやすい解説

ピンクニー条約
ピンクニーじょうやく
Pinckney's Treaty

1795年 10月 27日アメリカとスペインの間で結ばれた条約。アメリカ代表 T.ピンクニーの名にちなんでこう呼ばれる。別名サンロレンソ条約。内容は,両国の境界線を北緯 31°とする,領内インディアンが他国を攻撃しないよう統制するとしたほか,スペインは自領内のミシシッピ川の自由航行権やニューオーリンズ港における貨物の積替えと一時的貯蔵の特権をアメリカに認めるなどアメリカに有利な通商上の取決めを含んでいる。これによりアメリカの西方への発展の突破口が開かれた。

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世界大百科事典(旧版)内のピンクニー条約の言及

【ピンクニー】より

…チャールストンで弁護士として成功し,87‐89年サウス・カロライナ邦知事,88年には同邦の合衆国憲法批准会議議長を務めた。92‐96年に駐英公使,1795年にスペインに特使として派遣され,国境画定,ミシシッピ川航行権に関する有利なサン・ロレンツォ条約(ピンクニー条約とも呼ばれる)の締結に成功した。96年にはフェデラリスツの副大統領候補となったが落選,1797‐1801年には同党の連邦下院議員。…

※「ピンクニー条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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