改訂新版 世界大百科事典 「フェデルテラ」の意味・わかりやすい解説
フェデルテラ
Federterra
イタリアの〈全国土地勤労者連合Federazione nazionale dei lavoratori della terra〉の略称。ファシズム以前のイタリアにあって,大きな動員力と独自な闘争を誇った最大級の農業労働者・農民組織。ポー川流域の平野部を中心とする農業労働者・農民運動の高揚期であった1901年11月にボローニャで結成される。翌年には22万2791名の加盟者を擁したが,その後は大幅に減少する。アルジェンティーナ・アルトベリが書記長となる06年ごろから独特な戦術を取り入れて,再び活発な活動を展開,とくに19年には約40万名,20年には84万5635名の加盟者を数えている。ところが,ファシズム運動の台頭とともに,勢力を減退させ,ムッソリーニ政権下の26年解散を余儀なくされる。ファシズム崩壊後の44年11月再建されたが,2年後〈土地勤労者総連合Confederazione generale dei lavoratori della terra〉(略称コンフェデルテラConfederterra)に改組される。フェデルテラの闘争のやり方としては,賃上げや労働時間の短縮といった要求のほか,〈職業斡旋所〉の設置と運営,地主や農業経営者に対して一定数の農業労働者の雇用を義務づけることを要求していく運動,グループを単位として借地契約を行う〈集団借地〉の実施などの新しいタイプの闘争方法があげられる。農村で働く幅広い階層に門戸は開かれていたが,その主力はブラッチャンティと呼ばれる日雇農業労働者であり,地域的にはそうした階層が集中的に存在していたポー川流域の平野部が終始中心的な地盤であった。というのも,〈土地の社会化〉というスローガンが,土地所有を渇望する中小農民にとっては容易に受け入れがたかったからである。もちろん,ブラッチャンティ以外の階層,たとえば折半小作農との連帯を追求しようとして,折半小作契約の改善のためにも大きな努力が払われた。しかし,折半小作農のあいだに普及していた農繁期における協同労働の慣行が,ブラッチャンティの雇用の拡大を著しく阻害するなど,折半小作農との共闘にも大きな限界があったといえよう。
→ポー平原
執筆者:堺 憲一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報