改訂新版 世界大百科事典 「フォトンエコー」の意味・わかりやすい解説
フォトンエコー
photon echo
磁気共鳴におけるスピンエコーとの間に完全なアナロジーが成立する分光学的現象。すなわち,物質の二つのエネルギー準位にほぼ共鳴する電磁波パルスを,ある時間間隔(T)をおいて照射したとき,さらにT時間後に物質から光の放射が起こる現象をいう。スピンエコーの場合,磁場Hの中での磁気モーメントMの運動は,ブロッホ方程式,
で記述される(γは磁気角運動量比)。一方,二つのエネルギー準位W1,W2の間の遷移にほぼ共鳴している電磁波Ecosωt(Eは電場の強さ,ωは角振動数。ωについてはプランク定数hを2πで割ったものをℏとするとℏω~ℏω0=W2-W1)と,コヒーレントに相互作用をしている分子系の状態は,密度行列ρについてのシュレーディンガー方程式,
によって変化する。ここでH′は相互作用ハミルトニアンで,双極子相互作用の場合は双極子モーメントをμとして,
H′=-μEcosωt
である。さて,ここでr1=ρ12+ρ21,r2=i(ρ12-ρ21),r3=ρ22-ρ11の変換をすると(rの添字1,2は二つのエネルギー準位W1,W2の間の行列要素を意味している),上の運動方程式は,
とかき直せる。この式は(1)とまったく同じ形をしている。ここで分子系の電磁波に対する応答のうち,r1は分散(分子分極の実数部分),r2は吸収(分子分極の虚数部分),r3は分布数差に対応する。またωは,磁気共鳴における磁場の役割を果たすもので,その成分は((H′12+H′21)/ℏ,i(H′12H′21)/ℏ,ω0-ω)である。磁気モーメントが実空間で運動するのに対して,ベクトルrは仮想的空間(ブロッホ空間)の中で運動する。このような表現をとると,分子状態の時間的変化を直観的に把握できて便利である。(1)と(2)の対応から,磁気共鳴で観測される諸現象,例えば各種のエコー,自由誘導減衰,過渡的章動などに対応する現象がすべて分子系についても観測される。
フォトンエコーは,次のように説明される。はじめ電磁波がないときにはρ12=0なので,ベクトルrは第3成分のみをもつ。いま,
を満足するような時間⊿tだけ電磁波パルスを分子系に加えると,ベクトルrは第1軸のまわりに90度回転し,ほぼ第2軸の方向に向く。これは分子系の分極がもっとも大きくなった状態で,このとき分子系からは電磁波が放出される。外からの電磁波がきれた後は,rは,第3軸のまわりに歳差運動をする。ドップラー効果など不均一な広がりのため共鳴周波数ω0は,分子によって異なる。したがって(ω-ω0)に比例する歳差運動の速さが分子によって異なることになり,第2軸上でそろっていた分極のベクトルは,まもなく1-2平面内でばらばらにくずれてしまう。適当な時間Tだけ経ったあとに,こんどは,
を満たす電磁波パルスを⊿t′の時間だけ加えると,それぞれのベクトルはこの間に第1軸のまわりに180度回転し,1-2平面内のそれぞれ対称な場所に折りかえされる。これらのベクトルは再び第3軸のまわりに歳差運動をはじめるが,さらにTだけ経過すると,ばらばらになっていたベクトルが,再び1-2平面内で(はじめとは対称的な位置で)そろい,大きな分極ベクトルが生ずる。この時点で物質から電磁波が放出される。これがエコーパルスである。エコーパルスの大きさは,Tが長くなるほど小さくなる。これはベクトルがくずれ再び構成される過程で,無秩序な摂動が分子系に加わり,分子系の分極がこわされてしまうためである。分子準位のこの種の緩和は,磁気共鳴の場合にならって横緩和と呼ばれる。フォトンエコーの実験は横緩和時間のよい測定法である。
執筆者:清水 忠雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報