フランスの画家。フランス南部のグラスGrasseに生まれ,7~8歳のころパリに出る。ブーシェのアトリエに学び,のちにバン・ローC.van Looにも学ぶ。1752年ローマ賞を得,56-61年イタリアに留学。この間,画家ロベール,富裕な美術愛好家サン・ノン修道院長と密接な関係を保ち,ティボリ,ナポリなどで彼らとともに描く。帰国後,アカデミー入りの資格作品として描いた《コレシュスとカリロエ》は,1765年のサロン(官展)に出品されてディドロの激賞を受け,王にも認められる。また,ゴブラン製作所より下絵の注文を受け,ルーブル宮殿に一室をあたえられる。しかし彼は公的な経歴を望まず,優雅な風俗画や,魅惑と典雅さを失わない,宮廷生活を描写した〈閨房画〉,あるいは風景画,自由な感興のおもむくままに巧みな素描力により描かれた肖像画など,市井の注文にも応じ,イタリア留学時代に培われロココの感性を受けついだ自由な筆触,光と動きの戯れ,魅惑的な主題は多くの顧客を集めた。とくにサン・ジュリアン侯爵のために描いた《ぶらんこ》(1766)は,版画化されて彼の名声を高めた。71-72年にはデュ・バリー夫人の注文によって,ルーブシエンヌの館のために〈愛の進行〉を主題とする4部作を描くが,新古典主義の風潮の高まりのなかで,この作品は実際には彼女の館を飾ることはなかった。大革命とその後の趣味の変化は,いっそう彼の画作を孤立させた。そのロココ最後の画家としての感性,また先ロマン主義的な傾向,自然の光への目は,19世紀以降再認識されている。
執筆者:中山 公男
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フランスの画家。南フランスのグラースに生まれる。少年時代に家族とともにパリに移り、シャルダン、ブーシェに師事、後者の影響を強く受けた。1752年ローマ賞を得て、エコール・ロワイヤル・デ・ゼレーブ・プロテジエでカルル・ファン・ローの門下生として学んだのち、56年から5年間ローマのフランス・アカデミーに留学。ピエトロ・ダ・コルトーナやティエポロなどのバロック様式の装飾画にひかれるとともに、ローマ近郊の写生を通して風景画への関心を呼び覚まされる。その作風は、イタリアの影響とともに、レンブラントやロイスダールなどのオランダ画派への共鳴も示す。
1765年、歴史画『コレススとカリロエ』によりアカデミーの準会員となり、有望な装飾画家としての道を歩き始めるが、まもなく風俗画が自分の資質に適していることに気づき、アカデミーやサロンから遠ざかり、自由な立場で私的な顧客の注文に応じて、生きる喜びにあふれた官能的な主題の作品を多く手がけるようになる。フランス革命後は、ダビッドの紹介で美術館の管理長を務めたりするが、晩年は社会的にも経済的にも恵まれず、パリに没した。フランス18世紀の華やかさを代表する最後の画家と考えられており、代表作に『ぶらんこ』(ロンドン、ウォーレス・コレクション)、連作『恋のなりゆき』(ニューヨーク、フリック・コレクション)、『音楽の練習』(ルーブル美術館)などがある。
[黒田亮子]
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