改訂新版 世界大百科事典 「ローマ賞」の意味・わかりやすい解説
ローマ賞 (ローマしょう)
Prix de Rome
コルベールが創設したフランスの若い芸術家に与えられる賞で,ローマのフランス・アカデミー(1803年よりビラ・メディチ)への約3年間の留学を伴うもの。1663年以来,形を変えつつ今日まで続いている。コンクール形式による。たとえば絵画部門では,1次試験に合格した者は,アカデミーにより与えられた課題を隔離された場所で4日以内に習作にする。これを3ヵ月以内に大作品に仕上げるというものである。課題は神話,聖書,寓意などから取られた。絵画以外の分野では,彫刻,版画,建築,作曲があり,絵画の中には1817~63年のみ設けられた歴史風景画部門もあった。ローマのアカデミーの院長は代々パリのアカデミーの主要芸術家が任命されている。
執筆者:馬渕 明子
音楽
作曲部門はフランス芸術アカデミーが1803年から1968年の間,30歳未満の独身フランス人に作曲奨励のために与えた。フーガおよびオーケストラ伴奏付合唱曲による予備審査で6人に絞られた候補者が1ヵ月間個室に閉じ込められて指定の台本に基づくカンタータを作曲,1位大賞を競う。芸術院の音楽部門会員6名に高名な音楽家2名が加わり,これをあらかじめ評議するが,最終決定は芸術院の総員にゆだねられる。受賞者は数年間ローマに留学,ビラ・メディチに滞在して若干の作品をパリに送る義務を負う。おもな受賞者にベルリオーズ,グノー,ビゼー,マスネー,ドビュッシー,デュティユー,落選した大家にサン・サーンス,ラベルがいる。若い作曲家の登竜門としての意義はあったが,受賞者の半数以上は音楽史からまったく姿を消しているうえ,審査員の構成,選考方法に問題が多く,しばしばスキャンダルに発展したことなどが同賞廃止の理由とされる。
執筆者:小林 緑
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報