日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ブギ・ダウン・プロダクションズ
ぶぎだうんぷろだくしょんず
Boogie Down Productions
アメリカのラップ・グループ。1985年にニューヨーク市のブロンクスで結成される。KRS・ワンKRS-One(1965― )を中心に活動し、パブリック・エナミーらとともに、80年代後半から90年代にかけてラップ・ミュージックや若い黒人たちのスポークスマン的な立場にあった。
グループは、短命に終わった4人組グループ、スコット・ラ・ロック&ザ・セレブリティ・スリーをその発端として、DJのスコット・ラ・ロックScott La Rock(1962―87)とKRS・ワンによって結成される。当時のラップは、その多くが恋愛や宝石、車といった世俗的を欲望をテーマとしていたが、彼らの視点は「自分たちのコミュニティのありかた」という珍しいもので、KRS・ワンが84年に詩と曲を書き、のちにニューヨーク・ラップ全体のテーマともなった名作「ストップ・ザ・バイオレンス」もこの流れにあった。
彼らのアルバム・デビューは、87年に発売された『クリミナル・マインデッド』である。このアルバムは、DJとラップだけで芳醇な音楽を生み出せることを証明したラップ史に残る名盤だった。彼らはこの一作で、ニューヨークにBDP(グループの略称)ありと注目されるようになる。しかしその直後、ラ・ロックが暴力事件に巻き込まれて殺される。これをきっかけとしてKRS・ワンは、スラムに生まれた黒人の立場から、非暴力や教育の重要性、薬物の危険性、そしてアメリカ社会の矛盾を、以前にも増してラップで訴えていくことになった。
セカンド・アルバムは88年の『バイ・オール・ミーンズ・ネセサリー』。このジャケットは、65年に暗殺された黒人宗教者、活動家のマルコム・エックスが、身に迫る危険を感じて窓際でライフルを構えている有名な写真の姿を、KRS・ワンがそのまま演じたもので、題名もマルコムの有名な演説から引用したものだった。穏健なキング牧師とは違って、イスラム教徒としてアメリカの白人社会に激しい言葉を投げつけたマルコム・エックスは、下層社会に閉じ込められた黒人の怒りを象徴するものとして、80年代後半になってその人気が再浮上する。当時すでに若い黒人の意識を代弁するメディアともなったラップ界では、BDPがこの気運を先導し、後年、同じ新世代の黒人映画監督スパイク・リーSpike Lee(1957― )が映画『マルコムX』(1992)を完成させる。
リーダーのKRS・ワンはまた、ニューヨークを代表する実力派ラッパーであると同時に、ラッパーや文化人らをまとめ上げることにも長(た)けた人物だった。その一例がニューヨーク市で大がかりに行われた「ストップ・ザ・バイオレンス・ムーブメント」(1988)であり、これらの活動や社会的な発言を買われて、KRS・ワンはハーバード大学やエール大学で集中講義をもつようにもなってゆく。
その後、89年『ゲットー・ミュージック』、90年『エデュテイメント』とコンスタントにアルバムを発売していたBDPだが、92年の『セックス・アンド・ヴァイオレンス』を最後に活動を停止。KRS・ワンは翌93年の『リターン・オブ・ザ・ブーム・バップ』からソロ・アーティストとして活動するようになった。
[藤田 正]