ブトレロフ
Aleksandr Mikhailovich Butlerov
生没年:1828-86
ロシアの有機化学者。下級貴族の家に生まれ,カザン大学でジーニンN.N.Zinin(1812-80)とクラウスK.K.Klaus(1796-1869)に化学を学び,初め母校で,1868年からはペテルブルグ大学で教えた。1857-58年の西欧出張後,当時の化学理論を批判し,クーパーA.S.Couper(1831-92),F.A.ケクレの新概念(炭素の4価性,炭素炭素結合,1858)とみずからのメチレン誘導体研究などから,60年ころ化学構造論に到達した(1861発表)。彼は,〈化学構造〉を分子の化学的性質とそれに由来するすべての帰結が依存するものとして,それを単一の式で表現するために化学構造論を創始した。さらに,この新概念を首尾一貫して用いて,有機化合物の異性体や不飽和化合物の研究をした。彼の研究室は,ロシアにおける有機化学の中心となり,多くの優秀な弟子たちを育てた。
執筆者:梶 雅範
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ブトレロフ
ブトレロフ
Butlerov, Aleksandr Mikhailovich
ロシアの化学者.1844~1849年カザン大学でC.E. Claus(クラウス)とN.N. Zinin(ジーニン)に化学を学んだ.1857年カザン大学化学教授,1868年サンクトペテルブルク大学化学教授を歴任.1874年サンクトペテルブルク科学アカデミー正会員となる.1854年ころから化学理論に関心をもち,とくに1857~1858年の西欧滞在で多くの化学者たちと知り合い,最新の有機化学理論を身につけた.1861年には,化学的方法によって得られる分子構造である“化学構造”の概念を提唱し,有機構造論の実験的検証を行った.また,ホルムアルデヒドの重・縮合反応の研究でホルモースを見いだした.かれの有機化学教科書(1864~1866年ロシア語版,1867~1868年ドイツ語版)は,有機構造論にもとづく最初の体系的教科書の一つ.多くの弟子を育て,また女子の高等教育にも努力した.心霊現象にも関心をもち,また養蜂業にも携わった.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
ブトレロフ
ロシアの化学者。カザンおよびペテルブルグ大学教授を経て科学アカデミー教授。ケクレとは別に化学構造論を確立。互変異性に関する先駆的研究を行い,有機合成化学にも多くの研究がある。
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内のブトレロフの言及
【化学】より
…この考え方をF.A.ケクレとクーパーArchbald Scott Couper(1831‐92)は有機化合物に拡張し,炭素の原子価を4とし,かつ他の原子と結合する際原子価を2以上用いた二重結合,三重結合を認めれば,すべての有機物の構造が説明できることを示した(1858ころ)。ブトレロフAleksandr Mikhailovich Butlerov(1828‐86)はこの説をさらに進めて,クーパーの提案した結合を表す直線を用いて書かれた構造式は単に原子価の割当ての心覚えではなく実際の分子の構造に対応し,異なる構造式には異なる実在分子(異性体)が対応するという考えを述べた。有機化合物の構造理論は2回にわたって飛躍した。…
【有機化学】より
…1850年代におけるフランクランドEdward Frankland(1825‐99),クーパーArchibald Scott Cooper(1831‐92),F.A.ケクレの原子価の考えがでて,有機化学に初めて学問的基礎が与えられた。A.M.ブトレロフはこの考えを発展させて化学構造式と構造が1対1の関係にあることを,ケクレはベンゼンの構造をそれぞれ明らかにした。これによって,有機化学は脂肪族,芳香族の二つの流れをたどることになった。…
※「ブトレロフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」