日本大百科全書(ニッポニカ) 「イーノ」の意味・わかりやすい解説
イーノ
いーの
Brian Eno
(1948― )
イギリスの音楽家。アンビエント・ミュージックの創始者であると同時に、ポップ・ミュージックと芸術音楽の境界領域で活動する音楽家である。サフォーク県ウッドブリッジに生まれたイーノは、16歳でアート・スクールに進学。同時にアバンギャルドな音楽家たちと交流をもち、さまざまな音楽実験やロック・グループでの活動を開始した。1969年には造形芸術の学位を取得しアート・スクールを卒業。卒業後エレクトロニクス機器のセールスマンなどをしながら音楽活動を続けていたイーノは、1971年にブライアン・フェリーBryan Ferry(1945― 、ボーカル)率いるロキシー・ミュージックに、シンセサイザーとテープ操作担当のメンバーとして加入する。
ロキシー・ミュージックは『ロキシー・ミュージック』(1972)でレコードデビュー。イーノは派手な化粧でフェリーと並ぶグループの看板的存在となる。翌1973年『フォー・ユア・プレジャー』を発表するが、同年イーノはグループを脱退する。
ロキシー・ミュージック在籍時から他のミュージシャンとのコラボレーションを行っていたイーノは、1973年にキング・クリムゾンのロバート・フリップRobert Flipp(1946― )との共作アルバム『ノー・プッシーフッティング』No Pussy footingを発表。続いて最初のソロ・アルバム『ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ』(1973)を発表する。プログレッシブ・ロックの延長線上にありながら、奇妙なアイロニーと実験的要素に満ちた音楽は、ロック・ミュージックの音楽的可能性の拡大をねらった彼の実験の一環であった。
以後、イーノは自身のソロ・アルバムの制作と並行して、他の先鋭的なロック・ミュージシャンとのコラボレーション活動やプロデュース活動を活発に行っていく。そのなかにはジャーマン・ロック・グループのクラスターとの共作『クラスター・アンド・イーノ』Cluster & Eno(1977)、デビッド・ボウイのアルバム『ロウ』『ヒーローズ』(ともに1977)、ニューヨーク・パンクの第二世代のグループを集めたオムニバス『ノー・ニューヨーク』(1978)、トーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』(1980)などの、ロック史上エポック・メイキングな作品となった作品が含まれている。
1975年1月イーノは交通事故に遭遇し、しばらく入院生活を送る。この生活のなかで、「聞こえるか聞こえないかの境界にある小さな音」に興味を覚えたイーノは、ぼんやりしたという意味のオブスキュアと名付けたレーベルを設立。自身のアルバム『ディスクリート・ミュージック』(1975)をはじめ、現代音楽家マイケル・ナイマンMichael Nyman(1944― )の『ディケイ・ミュージック』(1976)やギャビン・ブライヤーズの『タイタニック号の沈没』(1975)をプロデュース、リリースする。この活動のなかで環境音楽への思索を深めたイーノは、「環境を取り巻く音楽」の制作を進め、アンビエント・ミュージックの構想に至る。そして環境音楽の専門レーベル、アンビエントを設立し、アンビエント・ミュージックの第1弾『ミュージック・フォー・エアポート』(1978)を発表する。周囲の音と調和することによって環境を作り上げる音楽、という彼のコンセプトは、後の実験音楽やクラブ・ミュージックに大きな影響を及ぼした。
1980年代以降、イーノの活動は音楽にとどまらずビデオ映像やアートの領域にまで広がっていく。またU2『ヨシュア・ツリー』(1987)などの大ヒット・アルバムのプロデュースを手がけるなど、領域横断的な活動を続けている。
[増田 聡]
『エリック・タム著、小山景子訳『ブライアン・イーノ』(1994・水声社)』