翻訳|Britannia
今日のイギリス本国,グレート・ブリテン島のローマ時代における呼称。この島の南東部にヨーロッパ大陸から移り住んでいたケルト人の一派のブリトン人(ラテン語でブリタンニBritanni)に由来し,〈ブリトン人の国〉を意味する。この島とローマとの関係は,前1世紀中ごろガリア征服を進めていたカエサルが,ガリアのケルト人を支援していたブリトン人を討つべく,前55年と前54年の2度にわたってこの島の南東部に侵入したときに始まる。カエサルは島の占領までは意図せず引き揚げたが,これは約1世紀後に始まるローマのブリタニア支配の前提となった。後43年クラウディウス帝はこの島の恒久的征服に乗り出した。ローマはカラタクスやイケニ族の女王ボアディケアなどの抵抗にあったが,ドミティアヌス帝時代の総督G.J.アグリコラのもとで北部を除く島の大半を領有するにいたり,さらに北方のカレドニア(今日のスコットランド)にまで作戦を展開した。しかし兵力の削減により,タイン河口とソルウェー湾を結ぶ線へ後退を強いられ,そこに120kmに及ぶ長大な石造の〈ハドリアヌスの防壁〉が築かれた。その後ローマは一時北進に成功したが,ローマの支配はだいたいにおいて〈ハドリアヌスの防壁〉以南の地に限られていた。
ローマの支配により,ロンディニウム(今日のロンドン)など各地にローマ風の都市が造られ,貨幣や道路網により商業も発展した。しかしローマ化は都市部に限られ,田舎の住民は依然,牧畜と農耕による自給自足の生活を続けていた。ローマの支配はケルト人の社会を根底から変革するものではなく,ブリトン人の部族国家は,ローマにより征服された後も,半独立的地位と部族制を保った。5世紀初め,西ローマ皇帝ホノリウスがブリタニアより軍隊を撤退してこの島を放棄したあとには,ローマ文化の痕跡はほとんど残らなかった。
→イギリス
執筆者:市川 雅俊
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イギリスの古称。とくに古代ローマの州があったグレート・ブリテン島南部のローマ(ラテン語)名。「ブリトン人の国」の意味で、当時グレート・ブリテン島南部に住んでいたブリトン人に由来する。旧石器時代より狩猟の跡がみられるが、早くから北西ヨーロッパのケルト人が優れた青銅器文明をもたらし、紀元前4世紀にはラ・テーヌ文化の影響下に鉄器文明が発展した。前75年ベルガエ人がブリテン島南部に来てベルガエ人の王国を建設、前55~前54年ガリア遠征中のカエサルの攻撃を招いた。紀元後43年ローマ皇帝クラウディウス1世の遠征で、ブリタニアはローマの支配下に入る。79年ごろアグリコラ将軍の下で北辺が鎮定され支配が安定した。122年皇帝ハドリアヌスが渡来して長城を建設し、国境とした。続いてその北にアントニヌスの長城が設けられたが、これは短命であった。ブリタニアはローマの皇帝領として経営され、各地でローマ的都市の建設も進み、それらを結ぶ道路も整備され、農村でもローマの制度を取り入れた私有大領地経営が進められた。穀物、毛織物のほか、鉱産資源も豊かであった。ローマ以前にはケルト人の宗教ドルイド教が行われていたが、それ以後はローマの主神ユピテル(ジュピター)信仰やキリスト教も入り、4世紀には3人の司教がいた。4、5世紀からスコット人、アングロ・サクソン人の侵入が激化してローマが撤退したのち、各地にブリトン人の結集とブリトン文化の復活をみた。
[富沢霊岸]
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イギリスのブリテン島のローマ時代の呼称。この島の大部分は1世紀半ばから5世紀初めまでの間ローマの属州となった。その名称は当時この地に居住していたケルト系のブリトン人に由来する。
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…セント・ポールズ校とオックスフォード大学で教育を受け,1593年ウェストミンスター校校長,97年紋章院長官。1571年より旅行などを通じて収集した材料をもとに,86年ラテン語八つ折版のイギリス地誌《ブリタニア》を著す。歴史的事実の宝庫として版を重ね,1607年第6版より二つ折の増補版となり,10年には英訳された。…
…【香内 三郎】
【歴史】
[先史時代]
はるかな太古,地表の大部分がまだ厚い氷河で覆われていた旧石器時代には,イギリス諸島は大陸と地続きであった。グレート・ブリテン島(ブリタニア)で発見された最古の化石人類(旧人)はスウォンズコーム人で,約25万年くらい前のものと思われる。以後大陸からさまざまの人類が移り住んで,採集・狩猟・漁労の生活を営んだ。…
…プレタンニカとはケルト語の〈彩色した〉人,すなわち入墨した部族の意味である。しかしローマ時代に入ると,最も遅くこの島へ移住したケルト系ブリトン人にちなむ〈ブリタニア〉の名称が定着し,今日のブリテンとなった。正式にグレート・ブリテンの名称が採用されるのは,1707年にイングランドとスコットランドが合同して連合王国を形成したときであり,フランスのブルターニュ地方をさすリトル・ブリテンと区別するため命名された。…
※「ブリタニア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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