改訂新版 世界大百科事典 「ブルゲンラント」の意味・わかりやすい解説
ブルゲンラント
Burgenland
オーストリアの南東端にある州(ラント)。面積3965km2。人口27万7586(2004)。ハンガリー平原の西部に属している。その平坦な地形は肥沃な耕地が大部分を占めており,小麦,テンサイ等とならんで,ブドウや果樹の栽培も盛大であり,ブルゲンラント・ワインは有名である。ハンガリーと国境を分けているノイジードル湖は,南北30km,東西6~12kmの細長い形状の,オーストリア最大の湖であり,湖面は季節によって変化する。湖水はわずかに塩分を有するが,アシがよく茂り,オーストリアのセルロース工業に対して主要な原料を供給している。湖岸には湖上住宅の跡も残っており,野鳥の類も多い。この近辺は土質が陶器の生産に適しており,土産の陶器産地が点在している。
アイゼンシュタットはもとハンガリー王国最大の領主であったエステルハージ公の所領であり,ハイドンの生地でもある。現存するハイドンの家は,彼がエステルハージ公の楽人として仕えていたときに住んでいた住居であって,ここで多くの不朽のシンフォニーが作曲された。現在はハイドン博物館になっている。また,ノイジードル湖では毎夏湖上オペラが上演されることで知られ,多くの観光客がヨーロッパ各地からやってくる。
ブルゲンラントはハンガリーと接していて,マジャール人の影響を受けている。村落は大平原の交通路に沿って発展したところが多く,典型的な街道村落の形態をとっている。1954年までエステルハージ公の支配下にあり,村々の農民はマイアーホーフとよばれる直営地大農場で労役に服していた。それはドイツ・エルベ川以東地域にみられるユンカー領主制農場に近いが,もっと古い形態であり,工場から商店まである自給自足の小宇宙をなしていた。村は家直属の耕地ハウス・グリュンデと共同地ウルバリアーレス・ラントからなり,家直属地をもたない農民は正規の成員にはなれなかった。共同地の権利は家直属地の所有権の大小に対応して配分されており,その権利は後に転売されるようになったが,事実上は当該村民以外にわたることはほとんどなかった。このような村落共同体の変貌は第1次大戦のときが最初期であり,ナチス支配期を経て,第2次大戦後の1954年には農地改革が行われた。
執筆者:住谷 一彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報