ブレシコブレシコフスカヤ(その他表記)Ekaterina Konstantinovna Breshko-Breshkovskaya

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ブレシコ・ブレシコフスカヤ
Ekaterina Konstantinovna Breshko-Breshkovskaya
生没年:1844-1934

ロシアの女性革命家,エス・エル党創立者の一人。チェルニゴフ県のポーランド系貴族の娘。自由主義者の夫と別れて,1874年〈人民の中へ〉運動に参加,同年逮捕されて96年までシベリア投獄流刑生活を送った。釈放後ゲルシューニとともにエス・エル党結成のために活動し,1902年結党された同党中央委員となった。07年再び逮捕され,シベリアへ送られた。17年にはエス・エル党右派に属し,十月革命に反対した。19年反ボリシェビキ政権の樹立をめざすウファ国家会議に出席したが,そこで成立した全ロシア臨時政府クーデタによってコルチャークに握られたため,そこにいられず日本を経てアメリカへ亡命した。その不屈の半生は〈ロシア革命祖母〉として世界に知られた。
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関連語 和田

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ブレシコ・ブレシコフスカヤ
ぶれしこぶれしこふすかや
Екатерина Константиновна Брешко‐Брешковская/Ekaterina Konstantinovna Breshko-Breshkovskaya
(1844―1934)

ロシアの女性革命家。富裕な貴族の家柄に生まれる。1873年「ブ・ナロード」(人民の中へ)の運動に加わったが、翌年逮捕され、3年間投獄のあと、北ロシアのカラへ流刑となる。96年恩赦で釈放されたが、引き続き反政府の地下活動を続けた。99年ゲルシューニと「ロシア政治解放労働党」の創設参画。1902年同党が社会革命党SR(エスエル))に合流してからは、その指導者の1人となる。17年の二月革命後は臨時政府を支持し、十月革命後はボリシェビキに反対した。19年アメリカに亡命、その後チェコスロバキアやフランスで暮らした。

[外川継男]

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