人民の中へ(読み)じんみんのなかへ(英語表記)Khazhdenie v narod

改訂新版 世界大百科事典 「人民の中へ」の意味・わかりやすい解説

人民の中へ (じんみんのなかへ)
Khazhdenie v narod

1873-75年にロシアで大規模に実践された知識人・学生による社会変革の運動。74年の春~夏に最盛期を迎える。最初は帝政下で特権を享受する知識人・学生の道徳的自己完成または自己否定の運動に始まり,人民への負債の念から人民を救済するための社会主義の実現へと行動をひろげた。はじめ都市の労働者と出稼ぎ農民の間で宣伝・教育活動を行い,続いて農村に入り農民の間で社会主義の宣伝と革命に向けての農民の蜂起扇動した。この運動に数千の知識人・学生が参加し,みずからをナロードニキ(人民主義者)と称した。彼らは大別して2派に分かれ,ラブロフ派は革命の宣伝と準備を,バクーニン派は扇動と農民蜂起を訴えた。バクーニン派が圧倒的多数を占め,彼らは農民が農村共同体で社会主義的習慣を実践しており,農民の蜂起によって帝政が除去されれば直ちに社会主義が実現すると考えた。そして,自己の特権を放棄し,農民の中で農民とともに社会主義をめざすことにより,自己の道徳的浄化が実現されるとして農村に入った。

 一方,知識と学問を重視するラブロフ派は都市労働者の組織活動および宣伝と教育を行った。75年までに両派とも大量の逮捕者を出した。両派のナロードニキは中央集権的な革命家組織をネチャーエフ的な不道徳なものとして忌避した。しかし政府弾圧により,組織を集権化せざるをえず,76年から〈土地自由結社が誕生し,ナロードニキの運動を継承する。
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旺文社世界史事典 三訂版 「人民の中へ」の解説

人民の中へ
じんみんのなかへ

ナロードニキ

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世界大百科事典(旧版)内の人民の中への言及

【ナロードニキ】より

…その一つ,チャイコフスキーNikolai Vasil’evich Chaikovskii(1850‐1920)のサークルから70年代の主要な活動家がつくり出された。ラブロフの《歴史書簡》から,批判的に思惟しうる知識人は民衆に債務を返さなければならないという考えを与えられた学生たちは,バクーニンの農民反乱の切迫性の考えにも動かされ,74年,〈人民の中へ〉の運動をおこした。数千人が職人や人夫に姿をかえて村々をまわり,革命を宣伝しようとしたが,農民に受け入れられずに終わった。…

※「人民の中へ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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