プネー(読み)ぷねー(英語表記)Pune

改訂新版 世界大百科事典 「プネー」の意味・わかりやすい解説

プネー
Pune

インド西部,マハーラーシュトラ州のデカン高原西端部にある都市。標高約600m。旧名プーナPoona。人口253万8473(2001),大都市域人口376万0636(2001)。ムンバイー(旧ボンベイ)の南東120kmに位置し,デカン高原上と海岸平野とを結ぶ重要交通路上の要衝で,東流するクリシュナー川源流部のムター川とムラー川の合流点に位置する。同合流点はヒンドゥー教徒の聖地で,現地名はサンスクリットプニヤ(〈清浄な〉の意)に由来する。マラーター同盟の実権を掌握したペーシュワー(宰相)バージー・ラーオ1世(在職1720-40)がここを主都とし,マラーター同盟の中心地となってから発展した。1817-18年に北郊のキルキーなどの戦い(第3次マラーター戦争)でイギリスに敗れ,英領となった。英領時代には,旧市の東に広大なカントンメント(兵営地区)が建設され,西部インドにおける英軍の最大の根拠地となり,また旧ボンベイ管区の夏の主都となった。旧市の中央には1736年に建設されたシャーンワール・ワーダー宮殿の城壁が残る。インドにおける教育・文化の中心一つで,とりわけサンスクリット,化学気象学研究で名高い。インドの映画産業の中心でもあり,そのほか紡績,製紙,ガラスなどの諸工業が立地する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プネー」の意味・わかりやすい解説

プネー
ぷねー
Pune

インド西部、マハラシュトラ州西部の都市。かつてはプーナPoonaとよばれた。人口254万0069(2001)、312万4458(2011センサス)。ムンバイ(ボンベイ)南東120キロメートルのムタ川、ムラ川の合流点に位置する。18世紀後半よりマラータ同盟の都として発展し、教育、文化の分野で水準の高い都市である。イギリスに征服された1817年以後はイギリス軍の駐屯地として重要な地位にあった。旧市街地の東部にあたる広い駐屯地の周辺はヨーロッパ風の商店、銀行、レストランなどが並ぶ近代的な市街地で、パールシー教徒、グジャラート人、パンジャーブ人が居住する。寺院、狭い道路、密集した家々の多い旧市街地とは対照的である。道路・鉄道交通ともに恵まれ、高い教育水準に支えられて急速に近代工業化が進んだ。繊維、食料品、ゴム、製紙、プラスチック、機械工業などが盛んで、市街地周辺には大規模工場の進出が目覚ましく、工業人口の比率も高い。

[中山晴美]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「プネー」の解説

プネー
Pune/Poona

インド西部,マハーラーシュトラ州の都市。プーナとも呼ばれる。17世紀後半にマラーター王国シヴァージー本拠となり,それに続くペーシュワー政権のもとでは主都として発展した。マラーター戦争が終了した1818年,イギリス領に編入された。その後も引き続き,西インドにおける政治,軍事,文化活動の中心地であった。

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百科事典マイペディア 「プネー」の意味・わかりやすい解説

プネー

インド西部,マハーラーシュトラ州,西ガーツ山脈中の気候良好な学術都市。プーナPoonaとも。交通・商業の中心。製糖・製紙・綿織物工業など工業都市として急速に発展。映画産業もさかん。大学(1949年創立),研究所,試験場,放送局,兵営,兵器廠がある。18世紀にマラーター同盟の中心地となって繁栄したが,1818年英国領。宮殿,寺院が多い。312万4458人(2011)。

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