イギリスの建築家、都市計画家。スタッフォードシャー県生まれ。1955年ケンブリッジ大学卒業。1957年ロンドンのAAスクール(Architectural Association School)修士課程修了。1958~1964年AAスクール講師。1960年自らの建築設計事務所を設立。1969年、建築設計事務所「ライト・ウェイト・エンクロージャーズ・ユニット」を共同設立。
プライスによる初めての大規模な作品はファン・プレース(計画案。1961、ロンドン)である。ロンドン東部、現在のドックランドにジャムセッションやダンス、科学ショー、遊園地、科学映画の上映、演劇ワークショップ、音楽ワークショップなどを行う文化的娯楽施設を計画したジョアン・リトルウッドJoan Littlewood(1914―2002、王立劇場シアターワークショップの創立者)が依頼者である。プライスはこれに応えてディズニーランドのような受動的な娯楽施設ではなく、来場者がポジティブに活動を創造できる仕掛けを、開放的な構造体のなかに計画した。鉄骨構造によるフレーム中にはクレーンで動く音響設備や可動壁、床、天井や廊下や斜路、スクリーンやエアカーテンなどの設備を組み込んだ。このアイデアやコンセプトは、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャーズによるポンピドー・センター(1971~1977、パリ)や磯崎新(あらた)の日本万国博覧会お祭り広場の装置(1970、大阪)などに引き継がれて実現した。
ポタリーズ・シンクベルト(計画案。1965、スタッフォードシャー県北部)の敷地は陶磁器産地の郊外であり、プライスの生まれた地である。ネットワークを中心にした教育施設の計画であるが、大学とよばずにシンクベルト(シンクタンクをもじった命名)とよんで、教育システムまでを計画した。また、このシンクベルトではハウジング、交通のインフラストラクチャーをはじめ、プレハブによる工法も計画した。
ジェネレーター(1976)は住人のアクティビティで簡単に変化し、拡張できる居住ユニットの提案である。コンピュータのメモリーと同じように、生活空間を自由に書き込んだり消したりできるようにデザインされた。ユニットは状態を変化させ集合することも可能で、計画では生活の時間や状況の変化への対応をさまざまにシミュレーションした。
プライスの建築は工業テクノロジーを大胆に採用したことから、未来主義的建築の祖と見られることが多い。しかしプライスが採用するテクノロジーは、常に硬直化した建築の空間や殻を突き破るためのものであり、また、建築によって権威づけられた組織や制度を壊すために用いられた。一方、アーキグラムやアーキズームに比べて、実際的な工法や精緻なシミュレーションモデルが特徴的である。その点から現代の情報ネットワーク時代の建築や都市に対しても有効なヒントを与え続けているといえる。
プライスの実現した建築でもっとも有名な作品はロンドン動物園の鳥類園(1961)である。鋼管性の四角錐をケーブルのテンションで浮遊させた「テンセグリティtensegrity構造」(張力と圧縮する力との結合によって、バランスのとれた一つの単位として機能する構造体のこと。バックミンスター・フラーによって提唱された概念)によるケージ(檻)を採用し、大胆だがけっして観客の邪魔にならない、プライスの建築家としての実力を見せつける建築である。
プライスの建築や都市に対する可変性や無限定性はフレデリック・キースラーの「終わりのない(endless)」空間構想を拡張したと評価され、2002年度オーストリアのフレデリック・キースラー賞を受賞した。
[鈴木 明]
『Cedric Price; Architectural Association Works 2 (1984, Architectural Association, London)』▽『Cedric Price, with Arata Isozaki, Patrick Keiller, Hans Ulrich ObristRe: CP (2002, Birkhäuser, Boston)』
イギリスの牧師、思想家。神の意志を認識し、その徳を実践することにより世界の調和が可能となるとして、ヒュームを批判した処女作『道徳の主要問題』A review of the principal questions in morals(1757)で、シェルバーン伯爵の知遇を得る。以後、政治的には同伯爵の路線にたち、穏健な議会改革、重商主義的貿易統制批判、小農保護を主張し、外交的にもアメリカ独立とフランス革命とを擁護した。プリーストリーとは長く親友であったし、女性の地位向上を訴えたウルストンクラフトM. Wollstonecraft(1759―1797)に、影響を与えている。人口論や年金論の基礎的推計資料を作成して、一時各方面で採用された。フランス革命論はE・バークの批判を誘発したが、反批判はしなかった。
[永井義雄]
『プライス著、永井義雄訳『市民的自由』(1963・未来社)』▽『プライス著、永井義雄訳『祖国愛について』(1966・未来社)』
アメリカのソプラノ歌手。ミシシッピ州ローレル生まれ。1949年奨学金を得てニューヨークのジュリアード音楽院に学び、52年からガーシュインのオペラ『ポーギーとベス』の巡回公演に参加、各地でベス役を歌った。55年プッチーニのオペラ『トスカ』の主役で成功。以後、指揮者カラヤンの推薦で、ヨーロッパの主要歌劇場でベルディの『アイーダ』『トロバトーレ』に出演、70年代末ごろまで豊かな声、とくに高音域の声の美しさなどで名声を博した。その後オペラにかわってリサイタルを増やし、85年のメトロポリタン歌劇場における『アイーダ』公演を最後にオペラの舞台からは引退した。彼女は「黒いプリマ」とよばれ、黒人歌手のオペラ界における地位向上に重要な役割を果たした。
[美山良夫]
『ピエール・マリア・パオレッティ著、南条年章訳『スカラ座の人』(1988・音楽之友社)』▽『スカイラー・チェイピン著、ジェームズ・ダニエル・ラディチェス写真、藤井留美訳『わが友、すばらしきオペラの芸術家たち』(1998・フジテレビ出版)』▽『Joseph D. McNairLeontyne Price(2000, Child's World, Chanhassen)』
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イギリスの非国教徒牧師,著述家。市民的自由と宗教上の寛容を唱道し,とくに1789年11月4日,〈大ブリテン革命記念協会〉の名誉革命100周年を記念する集会において,フランス革命をたたえた講演は大きな反響を呼んだ。同年その内容が《祖国愛について》の表題でパンフレットとして出版されると,フランス革命賛否をめぐるE.バークやT.ペインらの一連の論争の発端となった。
執筆者:松浦 高嶺
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