改訂新版 世界大百科事典 「プログレッシビズム」の意味・わかりやすい解説
プログレッシビズム
Progressivism
20世紀初頭から第1次世界大戦までのアメリカで,国内政治をはじめ社会や文化の各分野で広く盛り上がった改革の気運を指す。〈革新主義〉とも訳す。すでに19世紀の後半以来,独占産業社会のもつゆがみとそれにともなう政治の腐敗に対して,一部地域の農民や労働者から不満が表明されていたが,この革新主義の時代には,都市中産階級,一般消費者を含むより広範な地域のより多くの階層・職種の人たちから改革を求める声が高まってきた。学者,文筆家,聖職者,高等専門職者たちが指導者となった改革運動は,独占企業の告発から政治改革,婦人参政権運動,教育や労働条件の改善,貧民救済,そして禁酒運動にまで及んだ。なかでもマックレーカーズ(暴露屋)と呼ばれたジャーナリストたちは暴露記事で社会の裏面に潜む諸悪を市民に印象づけた。文学でもアプトン・シンクレアの小説《ジャングル》(1906)は,シカゴの食肉加工産業の不衛生きわまりない実態を描いて全米に衝撃を与え,1906年の食肉検査法と純良食品薬剤法の成立へと世論を盛り上げるのに貢献した。国民の革新の熱意を直接反映して,政治の革新主義は都市と州で始まった。トリードのジョーンズSamuel Jones,クリーブランドのジョンソンTom L.Johnson,サンフランシスコのフィーランJames Phelan,ニューヨークのローSeth Lowのような有能な市長が各地に輩出して,企業と密着した腐敗市政の浄化,ボス政治家の追放,諸制度の改善で成果をあげた。州政治でも,ウィスコンシンのR.M.ラ・フォレット,アイオワのカミンズAlbert B.Cummins,カリフォルニアのジョンソンHiram W.Johnsonらが革新知事として特筆されるが,なかでもラ・フォレットは,所得税制,鉄道統制,公務員制度改革,直接予備選挙制を導入し,ウィスコンシン州は〈民主主義の実験室〉,彼の改革案は〈ウィスコンシン案〉と呼ばれて他州の手本になった。
連邦政治における革新主義の最初の担い手はセオドア・ローズベルト大統領(在職1901-09)である。彼はシャーマン反トラスト法を武器として,北部証券会社をはじめ多くの独占企業の告発を行い,〈トラスト征伐者〉のあだ名を奉られた。しかし,独占巨大企業をすべて害悪視したわけではなく,むしろ企業の組織化を近代社会の進化の合理的・効率的な産物として肯定しており,〈悪いトラスト〉に対してのみ国家が規制に当たり,公共の利益を守るのがよいと考えていた。ローズベルトのこの信条は〈ニューナショナリズム〉というスローガンで表現されている。彼はまた,アメリカの豊かな自然と資源が私益の犠牲となって破壊されているのを憂え,天然資源保護政策にも力を入れた。次のタフト大統領(在職1909-13)は革新政治家としての個性は比較的弱いが,その在任中には,19世紀後半以来改革運動の懸案であった連邦所得税と上院議員の直接選挙を定めた憲法第16,17修正(ともに1913発効)が成立している。個人の機会保持と自由競争に重点を置く〈ニューフリーダム〉の構想を掲げて登場したウィルソン大統領(在職1913-21)は,熱心に不正な企業活動を取り締まり,関税を引き下げ,銀行通貨制度の根本的な改革を行い,農民に低利の長期信用を与え,労働条件を改善するための連邦法をつぎつぎに世に送り出した。婦人参政権の憲法第19修正案も1920年に発効成立した。ウィルソン時代は,いわば19世紀末のポピュリスト運動以来続いてきた改革運動の総仕上げの時期に当たっていた。
革新主義は,ちょうど経済的好況期に当たっていたこともあるが,総じて楽観主義的な道徳的改革運動の色彩が濃かった。近代産業都市社会の物質的恩恵を享受していた中産階級市民が,彼らの伝統的な価値意識や経済的倫理観からの逸脱が目だってきたアメリカ資本主義社会に対し,国家や州の公権力でその欠陥を是正しようとしたのがプログレッシビズムであった,といえるであろう。その意味では,伝統の否定に立つ革新ではなく,古い伝統と新しい現実の妥協を求める保守的な性格をもっていた。
執筆者:平野 孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報