ラ・フォレット(読み)らふぉれっと(英語表記)Robert Marion La Follette

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラ・フォレット」の意味・わかりやすい解説

ラ・フォレット
La Follette, Robert Marion

[生]1855.6.14. ウィスコンシンデーン
[没]1925.6.18. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。 1885~91年連邦下院議員。この間,歳入委員としてマッキンレー関税法案の成立に尽力。次第に革新的傾向を強め,1900~06年ウィスコンシン州知事在任中,革新主義運動の高まりを背景に各種の改革を実施。ウィスコンシン州は州改革のモデル,民主主義の実験室といわれた。 06年連邦上院議員となり,高関税に反対し,各種の進歩的改革を擁護する一派の指導者となった。 11年以後革新党の結成に参画したが,12年健康を害して指導権を T.ルーズベルトに譲り,その後は T.W.ウィルソンの支持にまわった。彼はウィルソンの社会政策は支持したが,第1次世界大戦への参戦に反対,また国際連盟にも反対した。その後共和党とその擁護する大資本の独占体制が強固になった 20年代にあって,体制に挑戦した唯一の政治勢力,革新的政治行動会議 CPPAから大統領候補として出馬したが,敗れた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラ・フォレット」の意味・わかりやすい解説

ラフォレット
らふぉれっと
Robert Marion La Follette
(1855―1925)

アメリカの政治家。ウィスコンシン州に生まれる。同州共和党政界に加わり、連邦下院議員(1885~91)、同州知事(1901~06)を務めた。とくに知事時代、直接予備選、税制改革鉄道規制の強化など彼が実施した一連の州政治改革は、「ウィスコンシン計画」とよばれ、この期の政治改革のモデルとなった。その後、1907年から25年まで連邦上院議員を務め、中央政界でも卓越した議会進歩派の指導者として活躍。17年アメリカの参戦に断固として反対し、24年には革新的政治行動委員会から大統領選挙に出馬し、敗れはしたが、鉄道の国有化労働組合団結権・団体交渉権の公認などを主張した。

[紀平英作]

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