翻訳|Herod
ユダヤ王。在位,前37-前4年。通常〈ヘロデ大王〉と称される。ユダヤの南に隣接したイドゥメアの出身。ハスモン家の王位継承争いに乗じ,ローマの有力者の援助を受けて王に任命された。生涯,ローマの忠実な属王として全パレスティナの支配を委託されたが,恐怖政治によって異邦人の支配に反抗するユダヤ人を弾圧したため,ユダヤ人からは激しく憎悪された。しかし,冷酷で巧妙な支配によって民衆の反乱を防ぎ,大祭司を自由に任免して,ユダヤ人共同体の中心であったエルサレム神殿の運営を掌握した。大建設工事を好み,カエサレア,セバステ(サマリア)などの大都市,マサダなどの離宮要塞を建設したほか,エルサレム神殿の大改修工事を行った。病的猜疑心から王妃と3人の実子を反逆罪によって次々と処刑した。新約聖書は,イエス・キリストが誕生したときに,ベツレヘムとその近郊の幼児が全員ヘロデに殺戮(りく)(幼児虐殺)されたと伝える。
執筆者:石田 友雄
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古代ユダヤの王(在位前37~前4)。ローマ帝国の庇護(ひご)のもとで冷酷・残忍な支配を行ったことで知られる。権力者アンティパスの第2子として生まれ、紀元前47年にガリラヤの知事となったのち、ローマのカエサル、アントニウス、オクタウィアヌス(アウグストゥス)らに取り入って信任を得、内戦に乗じてハスモン王家を倒してユダヤ王となった。即位後はカエサリア、セバステ(サマリア)などの大都市建設、エルサレム神殿の再建、宮殿、劇場、水道など大土木事業に業績を残したが、サンヘドリン(議会)や大祭司から政治的権能を奪い、重税を課し、猜疑(さいぎ)心から貴族、親類、妻子までをも処刑するなど、強圧的な支配を行った。ユダヤの伝統よりもヘレニズム文化に傾斜していたことが統治の特色であり、これが国民の反発を招く最大の原因でもあった。誕生したイエス・キリストを除くため、ベスレヘムの2歳以下のすべての子供を虐殺したという物語も有名である。
[漆原隆一]
前74?~前4(在位前37~前4)
ユダヤ王。在来のハスモン朝の一族を根絶やしにしてローマの宗主権のもとに王位につき,専制政治を行った。イェルサレム神殿の再建に着手,イエスの誕生を恐れてベツレヘムの幼児を虐殺したと伝えられる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…この区域はもとソロモンの建立した第一神殿,またバビロン捕囚後に再建された第二神殿があった場所で,モリヤMoriahの丘とも呼ばれた。ハラム・アッシャリーフを囲む東・南・西側の壁は,ヘロデ王時代以来のものと見られるが,その西壁(ハ・コテル・ハマーラウィー)には第一神殿の遺構があると考えられ,近代においてユダヤ教徒はこれを〈嘆きの壁〉として特に重要視するようになった。旧市街にはイエスの十字架の死を記念する聖墳墓教会(ゴルゴタの丘の跡にあるとも信じられている)をはじめ,キリスト教の聖地が多数存在する。…
…エルサレムから南へ約12km,ベツレヘムの南東約4kmの地点にある人工の丘(標高718m)で,ヘロデ大王が築いた要塞宮殿の跡(前15年ころ完成)。ユダヤ戦争(第1次66‐70年,第2次132‐135年)のときには,ユダヤ反乱軍の拠点となった。…
…信仰を守るため蜂起したユダヤ人は,マカベア党を中心とする反乱(マカベア戦争)を起こし,長い苦闘の末,マカベア(ハスモン)家によるユダヤの独立を回復した。しかし前63年には,ユダヤはローマの属領となり,ローマの属王ヘロデの支配を受けた。過酷なヘロデの支配に続いて,ローマ人総督が悪政の限りを尽くしたため,ついにユダヤ人は大反乱を起こした(ユダヤ戦争。…
…嬰児(えいじ)虐殺ともいう。ベツレヘムにユダヤ人の王となる救世主が生まれたことを知ったヘロデ大王は,それを確かめるため,東方から来た三博士を遣わす。幼児イエスを拝んだ博士たちは夢のお告げでヘロデの悪意を知ると,彼のもとには戻らずにそのまま故国に帰る。…
※「ヘロデ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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