ユダヤ教内の一教派で,エルサレム神殿奉仕期間中の祭司に課される諸規定を日常生活においても貫くため,一種の誓約共同体を構成した。パリサイとは元来〈分離派〉の意。その起源は前2世紀にさかのぼる。本来,平信徒の運動で,この派に属する律法学者が指導的な位置を占めた。口頭での父祖伝承をも含めて律法を日常生活の諸局面へ適合させるため〈合理化〉(M. ウェーバー)する一方,ダビデの家系のメシアの待望,復活信仰,最後の審判など旧約聖書の枠を超える教義も有した。後70年のローマ軍によるエルサレム破壊以後は,ユダヤ教の排他的指導層となった。福音書の中ではイエスの主要な論敵として登場し,自己義認を欲する偽善者として厳しく批判されることが多い。これにはイエスより後代の伝承によって誇張された面があり,実際にはイエス時代のユダヤ教の中でもっとも宗教的に真摯なグループで,それゆえにこそイエスと論争する機会も多かったと考えられる。
→サドカイ派
執筆者:大貫 隆
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古代資料が伝えるユダヤ教三派の一つ。パリサイ、つまり「分離者」(ペルーシーム)という名称は、律法を守らない人々から自分たちを分離することを意味する。紀元前2世紀にはエッセネ派とともに敬虔(けいけん)派(ハシディーム)に属していたが、伝統的宗教に忠実でありながらも最高法院(サンヘドリン)の一翼を担い、祭司層を中核とする貴族富裕階級の保守的で妥協的なサドカイ派に対して、進歩的で独立的な庶民の利益を代表する立場にあった。彼らは伝統的な律法の理念を日常生活に具体化することのなかに自分たちの生き方をみいだし、律法を時代に即応したものに再解釈することに尽瘁(じんすい)した。その律法解釈と敷衍(ふえん)は「ミシュナ」としてのちに集大成され、彼らの思想的な流れはユダヤ教正統派のなかに継承されて今日に至っている。
[石川耕一郎]
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前2世紀頃から紀元後にかけて有力であったユダヤ教の有力な一派。彼らは旧約聖書のモーセ律法などの成文律法だけでなく口伝律法をも重視し,これを日常生活の細部に至るまで実行し,イエスによって批判された。政治的には反ローマ的立場をとり,宗教的にもサドカイ派と対立したが,イエスの迫害には協力して主動的役割を演じた。後にタルムード時代のユダヤ教の主流となったのは,この派である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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