現代外国人名録2016 「ペーターシュナイダー」の解説
ペーター シュナイダー
Peter Schneider
- 職業・肩書
- 作家
- 国籍
- ドイツ
- 生年月日
- 1940年4月21日
- 出生地
- リューベック
- 学歴
- フライブルク大学,ミュンヘン大学,ベルリン自由大学
- 経歴
- 少年時代のほとんどを南ドイツ・バイエルン州の田舎に過ごす。1959年からフライブルクおよびミュンヘン大学でドイツ文学、歴史、哲学を学び’62年ベルリン自由大学に転校、そのままベルリンに住みつく。’67〜69年西ドイツ学生運動のリーダーとして活躍し、革命のための演説・論文・エッセイなどを発表した。その活動はキャンパス内にとどまらず、’69年大手電機メーカー、ボッシュ社の工場に単純労働者として就職し、その体験に基づいた報告「ボッシュにおける女性たち」(’70年)をまとめている。また、イタリア労働運動にも深くかかわった。’72〜90年イタリアや、米国のスタンフォード大学、プリンストン大学、ハーバード大学で客員教授としてドイツ文学を教える一方、作家活動を開始。’73年自伝的要素の濃い「レンツ」を発表、知識人や学生の共感を呼び、文芸批評界でも賞讃を浴びた。ナチ戦犯医師とその息子を扱った「父よ!」(’87年)はエジディオ・エローニコ監督により「マイ・ファーザー」(2003年)として映画化された。他の著書に「壁を跳ぶ男」「ザ・ジャーマンコメディ」「せめて一時間だけでも―ホロコーストからの生還」などがある。
ペーター シュナイダー
Peter Schneider
- 職業・肩書
- 指揮者
- 国籍
- オーストリア
- 生年月日
- 1939年3月26日
- 出生地
- ウィーン
- 学歴
- ウィーン音楽アカデミー卒
- 経歴
- ウィーン少年合唱団員を経て、ウィーン音楽アカデミーでカール・シスケに作曲を、ハンス・スワロフスキーに指揮を学ぶ。1960年ザルツブルク州立劇場でオペラ指揮者としてデビュー。’61〜68年ハイデルベルク市立劇場指揮者、’78〜85年ブレーメン市歌劇場音楽監督、’85〜87年マンハイム歌劇場音楽総監督など歴任。’81年の「さまよえるオランダ人」以降、定期的にバイロイト音楽祭に登場。なかでもショルティの代役として指揮した「ニーベルングの指環」で世界的な注目を集めた。’93年から5年間、バイエルン州立歌劇場及び州立管弦楽団の首席指揮者を務める。以後、ウィーン国立歌劇場、ベルリン州立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ(DOB)、ハンブルク州立歌劇場を中心に活動。2007年来日公演。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報