レンツ(読み)れんつ(その他表記)Эмилий Христианович Ленц/Emiliy Hristianovich Lents

デジタル大辞泉 「レンツ」の意味・読み・例文・類語

レンツ(Jakob Michael Reinhold Lenz)

[1751~1792]ドイツの劇作家・詩人。シュトゥルム‐ウント‐ドラングの代表者の一人。戯曲「家庭教師」「軍人たち」など。

レンツ(Heinrich Friedrich Emil Lenz)

[1804~1865]ロシアの物理学者電磁気を研究し、レンツの法則を発見。

レンツ(Max Lenz)

[1850~1932]ドイツの歴史家。ランケの著作に影響を受ける。著「マルチン=ルター」「ビスマルク伝」「ナポレオン」など。

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精選版 日本国語大辞典 「レンツ」の意味・読み・例文・類語

レンツ

  1. [ 一 ] ( Heinrich Friedrich Emil Lenz ハインリヒ=フリードリヒ=エーミール━ ) ロシアの物理学者。ペテルブルク大学物理学教授。電磁気学を研究、電磁誘導に関する「レンツの法則」を発見した。(一八〇四‐六五
  2. [ 二 ] ( Jakob Michael Reinhold Lenz ヤーコプ=ミヒャエル=ラインホルト━ ) ドイツの劇作家。シュトゥルム‐ウント‐ドラングの代表者。ゲーテを模倣し、「ゲーテのサル」といわれた。代表作「家庭教師」「軍人たち」など。(一七五一‐九二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「レンツ」の意味・わかりやすい解説

レンツ(Emiliy Hristianovich Lents)
れんつ
Эмилий Христианович Ленц/Emiliy Hristianovich Lents
(1804―1865)

ロシアの物理学者。ドイツ語名をHeinrich Friedrich Emil Lenzという。ドルパト(現、エストニア共和国タルトゥ)に生まれる。ドルパト大学に学び、ペテルブルグ科学アカデミーの助手を経て、1836年からペテルブルグ大学の教授を務めた。そのかたわら海軍兵学校などで物理学を講じた。1834年にはアカデミー正会員に選ばれた。彼の主要な研究分野は1831年から始めた電磁気学であり、なかでも「レンツの法則」として知られる電磁誘導の方向に関する法則の発見(1834)が有名である。そのほか、電流による熱発生、ペルチエ効果、抵抗の温度依存性、回路電流の分岐の法則(キルヒホッフの法則の特別な場合)、ガルバーニ電池の分極などこの分野の先駆的な研究を行った。また、重力、海水の温度および塩分濃度の観測など地球物理学上の研究でも活躍した。1865年2月10日、休暇中にイタリアのローマで卒中のため急逝した。

[井上隆義]


レンツ(Jakob Michael Reinhold Lenz)
れんつ
Jakob Michael Reinhold Lenz
(1751―1792)

ドイツのシュトゥルム・ウント・ドラング疾風怒濤(しっぷうどとう))期の代表的劇作家、詩人。ロシア領リーフラントの牧師の子として生まれる。ケーニヒスベルク大学に学ぶ。貴族の家庭教師として、主人がストラスブールでフランス軍の士官になるのに随行、そこで若きゲーテと知り合いシュトゥルム・ウント・ドラング運動に触れる。代表作『家庭教師』(1774)と『軍人たち』(1776)は、身分違い(貴族と平民)の恋愛・性愛という社会的な問題を取り上げ、大きな衝撃を与えた。この二つの戯曲は問題を投げかけるだけで、解決はむしろ観客・読者に開かれている。のち職を辞してスイス、ドイツを放浪したが安住の地はなく、一時精神に異常をきたし、最後はモスクワ街頭で窮死した。彼の戯曲は非完結形式への道を開いたが、彼の鋭敏な感受性と深い知性が社会と折り合えず、放浪、精神錯乱、不幸な死に終わるという点でも、レンツは近代ドイツ知識人の一つの型の先駆をなしている。

[中村英雄]

『岩淵達治訳『軍人たち』(『世界文学大系89』所収・1963・筑摩書房)』


レンツ(Siegfried Lenz)
れんつ
Siegfried Lenz
(1926―2014)

ドイツの作家。東プロイセン(現ポーランド領)の生まれ。水兵として第三帝国の没落を体験。第二次世界大戦後は新聞の文芸部員を経て、1951年の処女長編『蒼鷹(あおたか)が空にいた』で作家として独立。迫害と自らの罪による人間の挫折(ざせつ)という基本テーマは以後も踏襲される。他方、故郷の庶民生活を楽しい民話仕立てにした『ズライケン風流譚(たん)』(1955)は彼の人気を不動のものにした。『ミラベルの精』(1974)も同種の作品。長編では、ナチスに活動を禁止された画家ノルデをモデルにした『国語の時間』(1965)のほか、『模範』(1973)、『郷土博物館』(1978)、『喪失』(1981)、『音響試験』(1990)などがある。つねにアクチュアルな題材を扱い、H・ベル、G・グラスと並んで名声が高かった。

高辻知義

『丸山匠訳『国語の時間』(1971・新潮社)』


レンツ(Hermann Lenz)
れんつ
Hermann Lenz
(1913―1998)

ドイツの作家。第二次世界大戦末期アメリカ軍の捕虜となり、1946年故郷シュトゥットガルトに帰る。最初の短編は19世紀末のウィーンを舞台とした『静かな夜』(1947)。初めは目だたなかったが、70年代にハントケの推奨で遅い名声を得る。78年ビュヒナー賞受賞。「内面的にそばに立つ」と自己の態度を表現。『住む人のいない部屋』(1966)から『生きのびることと生きることの日記』(1978)までの自伝的長編四部作、『内面世界』長編三部作(1980)があり、ほかに『ロシアの虹(にじ)』(1959)、『鏡の小屋』(1962)などがある。

[長橋芙美子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レンツ」の意味・わかりやすい解説

レンツ
Lenz, Siegfried

[生]1926.3.17?. 東プロシア,リュク
[没]2014.10.7. ドイツ,ハンブルク
ドイツの小説家。第2次世界大戦で応召,戦後ハンブルク大学に学び,ジャーナリストを経て作家生活に入る。「47年グループ」の一人。作風にはアーネスト・ヘミングウェーの影響がみられる。故郷の村の生活に取材したユーモラスな民話集『なつかしのズライケン』So zärtlich war Suleyken(1955)が出世作となり,以後旺盛な創作活動を続ける。政治的にも積極的に活動。小説『蒼鷹は空にいた』Es waren Habichte in der Luft(1951),『影との決闘』Duell mit dem Schatten(1953),絵画禁制をテーマにしてナチス時代の権力と芸術の葛藤を描いた小説『国語の時間』Deutschstunde(1968),『模範像』Das Vorbild(1973)が代表作。短編の名手でもあり,その成果は『全短編集』Gesammelte Erzählungen(1970)にまとめられている。ほかに戯曲『罪なき人々の時代』Zeit der Schuldlosen(1961),『罪人の時代』Zeit der Schuldigen(1961),『喪失』Der Verlust(1981),『戦争の終わり』Ein Kriegsende(1984)など。1984年トーマス・マン賞,1999年ゲーテ賞を受賞。

レンツ
Lenz, Heinrich Friedrich Emil

[生]1804.2.24. エストニア,ドルパト
[没]1865.2.10. ローマ
ドイツの物理学者,地球物理学者。ロシア名は Emil Khristianovich Lenz。父はドルパトの行政長官。ドルパト大学卒業後,世界一周の探検航海に地球物理学者として参加 (1823~26) 。その後もカスピ海,コーカサス地方の学術調査などに従事。ペテルブルグ科学アカデミー会員 (34) 。海軍士官学校,師範学校などの物理学講師を経て,ペテルブルグ大学物理学教授 (36) 。フランクフルトアムマイン物理学会,ベルリン地球物理学会会員。 1834年の電磁誘導の向きに関するレンツの法則の発見,誘導起電力に関する実験,電気抵抗の温度変化に関する研究をはじめ,電流の磁気作用,熱作用,化学作用に関する多くの定量的実験を行い,精密計測技術・装置の改善にも貢献した。また地球物理学者として多くの調査・研究を行なった。

レンツ
Lenz, Jakob Michael Reinhold

[生]1751.1.12. ゼスウェーゲン
[没]1792.5.24. モスクワ
ドイツの劇作家。牧師の子に生れ,ドルパト (タルトゥ) およびケーニヒスベルク大学で神学を学ぶ。 1771年シュトラスブルクでゲーテと知合い,76年彼に従ってワイマールにおもむいたが,シュタイン夫人をめぐってゲーテと争い,ほどなくその地を追放された。のち狂気に憑かれ,モスクワの路上で死んだ。 F. M.クリンガーとともにシュトゥルム・ウント・ドラングの重要な劇作家とされ,個人的な出会いや体験に立脚した作品を書いた。喜劇『家庭教師』 Der Hofmeister (1774) ,『兵士たち』 Die Soldaten (76) のほか,『演劇論』 Anmerkungen übers Theater (74) など。

レンツ
Lenz, Hermann

[生]1913.2.26. シュツットガルト
[没]1998.5.12. ミュンヘン
ドイツの詩人,小説家。 F.カフカの影響を強く受け,『詩集』 Gedichte (1936) ,小説『ロシアの虹』 Der russische Regenbogen (1959) 『立去られた部屋』 Verlassene Zimmer (1966) ,『最後の男』 Der Letzte (1984) などがある。

レンツ
Lenz

ドイツの劇作家,小説家 G.ビュヒナーの短編小説。 1839年刊。シュトゥルム・ウント・ドラング時代の狂気の詩人 J.M.R.レンツを素材にして,医学知識を駆使してレンツの狂っていく過程を的確にとらえるとともに,観念主義を否定する作者の芸術観を表明している。

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改訂新版 世界大百科事典 「レンツ」の意味・わかりやすい解説

レンツ
Jakob Michael Reinhold Lenz
生没年:1751-92

ドイツの〈シュトゥルム・ウント・ドラング〉を代表する作家。リボニアの牧師の息子。1771年ストラスブールのゲーテとの出会いが彼の運命を決定した。自伝小説断片《森の隠者》は,ゲーテの《若きウェルターの悩み》の模倣と見られ,ゲーテの後を追ってワイマールを訪ねたが遠ざけられた。人生に行き詰まり,精神錯乱に陥って故郷へ送還されたが,後に10年余りのロシア放浪の果て,モスクワで変死した。《演劇覚書》(1774)は,天才の無拘束性を主張した〈シュトゥルム・ウント・ドラング〉の最も徹底的な文学論で,《家庭教師》(1774),《軍人たち》(1776)は,鋭い社会批評的精神と繊細な感受性のゆえに,皮肉でグロテスクな悲喜劇となった。時代の退廃と主人公たちの傷心の錯綜の中に新たな人間的現実性を描く彼の新しいドラマの可能性は,ビュヒナーを経てブレヒトに至る近代劇形式に継承された。
執筆者:


レンツ
Heinrich Friedrich Emil Lenz
生没年:1804-65

ロシアの物理学者。ドルパト(現,エストニアのタルトゥ)に生まれ,その地の大学で化学と物理学を学んだ。1823年からのO.コッツェブーの第2次世界一周調査航海に参加し,地球物理学にも関心をもっていた。31年から電磁気学の研究を始め,33年には誘導電流の生ずる向きについてのレンツの法則を発見した。翌年,ペテルブルグ科学アカデミーの会員,36年から終生,ペテルブルグ大学で物理学を教え,その間に学長や学部長も務めた。42年からの研究では,電流の熱作用の法則をジュールと独立に発見,また,電池の起電力や化学過程にも関心をもって研究した。65年,休暇先のローマで卒中により死亡した。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「レンツ」の意味・わかりやすい解説

レンツ

ドイツの劇作家。〈シュトゥルム・ウント・ドラング〉の時代を代表する。ゲーテと親しかったが,のち遠ざけられる。社会問題を扱った喜劇《家庭教師》(1774年),《兵士たち》や革新的な演劇論《演劇覚書》があるが,人生に行きづまり発狂,モスクワの路上で凍死。特異なリアリズムがビュヒナーブレヒトらに注目された。
→関連項目ツィンマーマン

レンツ

ロシアの物理学者。神学から物理学に転じロシアのペテルブルグ大学教授。電流現象を研究して導体の電気抵抗が温度の上昇とともに増大することを明らかにし(1833年),電磁誘導に関しレンツの法則を発見(1834年),誘導起電力は,回路の導体の種類に無関係であることを実証した(レンツの実験)。

レンツ

ドイツの作家。第2次大戦後,東から西に移り,故郷東プロイセンの村の生活に取材した民話集《ズーライケン風流談》(1955年)で成功,その後の作に長編《国語の時間》,戯曲《罪なき人びとの時代》など。

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367日誕生日大事典 「レンツ」の解説

レンツ

生年月日:1850年6月13日
ドイツの歴史家
1932年没

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世界大百科事典(旧版)内のレンツの言及

【ビュヒナー】より

… 彼はシェークスピアを文学の師と仰いだ。ドイツを去ったのちの作品として,シュトゥルム・ウント・ドラングの作家J.M.R.レンツの狂気を扱った短編《レンツ》(1836成立,39刊),倦怠と機知と風刺の喜劇《レオーンスとレーナ》(1836),ドイツの社会悲劇において名もない人間を初めて主人公とした《ウォイツェクWoyzeck》(1836成立,79刊,未完。のちA.ベルクのオペラ《ウォツェック》の台本となる)がある。…

【電磁誘導】より

…またその方向は誘導電流の作る磁場によって磁束の変化が打ち消される方向であり,これは自然が示す一つの慣性と見ることができる。なお,この誘導起電力の生ずる方向を与える法則は1834年にH.レンツが明らかにしたもので,レンツの法則と呼ばれている。 後にマクスウェルは,場の量である電場Eと磁束密度Bを使って,この関係式を, rotE=-∂B/∂t ……(1)とかき直した。…

※「レンツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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