日本大百科全書(ニッポニカ) 「レンツ」の意味・わかりやすい解説
レンツ(Emiliy Hristianovich Lents)
れんつ
Эмилий Христианович Ленц/Emiliy Hristianovich Lents
(1804―1865)
ロシアの物理学者。ドイツ語名をHeinrich Friedrich Emil Lenzという。ドルパト(現、エストニア共和国タルトゥ)に生まれる。ドルパト大学に学び、ペテルブルグ科学アカデミーの助手を経て、1836年からペテルブルグ大学の教授を務めた。そのかたわら海軍兵学校などで物理学を講じた。1834年にはアカデミー正会員に選ばれた。彼の主要な研究分野は1831年から始めた電磁気学であり、なかでも「レンツの法則」として知られる電磁誘導の方向に関する法則の発見(1834)が有名である。そのほか、電流による熱発生、ペルチエ効果、抵抗の温度依存性、回路電流の分岐の法則(キルヒホッフの法則の特別な場合)、ガルバーニ電池の分極などこの分野の先駆的な研究を行った。また、重力、海水の温度および塩分濃度の観測など地球物理学上の研究でも活躍した。1865年2月10日、休暇中にイタリアのローマで卒中のため急逝した。
[井上隆義]
レンツ(Jakob Michael Reinhold Lenz)
れんつ
Jakob Michael Reinhold Lenz
(1751―1792)
ドイツのシュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤(しっぷうどとう))期の代表的劇作家、詩人。ロシア領リーフラントの牧師の子として生まれる。ケーニヒスベルク大学に学ぶ。貴族の家庭教師として、主人がストラスブールでフランス軍の士官になるのに随行、そこで若きゲーテと知り合いシュトゥルム・ウント・ドラング運動に触れる。代表作『家庭教師』(1774)と『軍人たち』(1776)は、身分違い(貴族と平民)の恋愛・性愛という社会的な問題を取り上げ、大きな衝撃を与えた。この二つの戯曲は問題を投げかけるだけで、解決はむしろ観客・読者に開かれている。のち職を辞してスイス、ドイツを放浪したが安住の地はなく、一時精神に異常をきたし、最後はモスクワ街頭で窮死した。彼の戯曲は非完結形式への道を開いたが、彼の鋭敏な感受性と深い知性が社会と折り合えず、放浪、精神錯乱、不幸な死に終わるという点でも、レンツは近代ドイツ知識人の一つの型の先駆をなしている。
[中村英雄]
『岩淵達治訳『軍人たち』(『世界文学大系89』所収・1963・筑摩書房)』
レンツ(Siegfried Lenz)
れんつ
Siegfried Lenz
(1926―2014)
ドイツの作家。東プロイセン(現ポーランド領)の生まれ。水兵として第三帝国の没落を体験。第二次世界大戦後は新聞の文芸部員を経て、1951年の処女長編『蒼鷹(あおたか)が空にいた』で作家として独立。迫害と自らの罪による人間の挫折(ざせつ)という基本テーマは以後も踏襲される。他方、故郷の庶民生活を楽しい民話仕立てにした『ズライケン風流譚(たん)』(1955)は彼の人気を不動のものにした。『ミラベルの精』(1974)も同種の作品。長編では、ナチスに活動を禁止された画家ノルデをモデルにした『国語の時間』(1965)のほか、『模範』(1973)、『郷土博物館』(1978)、『喪失』(1981)、『音響試験』(1990)などがある。つねにアクチュアルな題材を扱い、H・ベル、G・グラスと並んで名声が高かった。
[高辻知義]
『丸山匠訳『国語の時間』(1971・新潮社)』
レンツ(Hermann Lenz)
れんつ
Hermann Lenz
(1913―1998)
ドイツの作家。第二次世界大戦末期アメリカ軍の捕虜となり、1946年故郷シュトゥットガルトに帰る。最初の短編は19世紀末のウィーンを舞台とした『静かな夜』(1947)。初めは目だたなかったが、70年代にハントケの推奨で遅い名声を得る。78年ビュヒナー賞受賞。「内面的にそばに立つ」と自己の態度を表現。『住む人のいない部屋』(1966)から『生きのびることと生きることの日記』(1978)までの自伝的長編四部作、『内面世界』長編三部作(1980)があり、ほかに『ロシアの虹(にじ)』(1959)、『鏡の小屋』(1962)などがある。
[長橋芙美子]