ボヘミア音楽(読み)ボヘミアおんがく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボヘミア音楽」の意味・わかりやすい解説

ボヘミア音楽
ボヘミアおんがく

ボヘミアはチェコの西部にあたる古くから文化の栄えた地域で,主都プラハは 14世紀なかばに早くも大学をもち,アルス・ノバの作曲家 G.マショーやルネサンスの詩人ペトラルカが来訪した。 15世紀 J.フスが起した宗教改革運動は,『汝らは神の戦士たれ』をはじめとする雄々しい戦闘的な宗教歌を生んだ。 16世紀に入って,神聖ローマ帝国のハプスブルク家がボヘミア王を兼ね,ルドルフ2世がプラハを都とすると,デ・モンテハスラー,ハンドルらフランドル楽派とべネチア楽派の大家がその宮廷に集った。一方,抑圧された民族感情は,三十年戦争 (1618~48) 時代に,対位法の技巧を簡素化した独特の民族的なポリフォニーの芸術にはけ口を見出した。 1626年王国の没落とともに貴族や芸術家の国外への流出が始り,才能に恵まれたボヘミア音楽家の多くは国外で活躍するようになった。ドレスデンの J.ゼレンカ,ベルリンのベンダ兄弟,マンハイムの J.シュターミツと F.リヒターらがその例である。 18世紀末には,ボヘミア出身の音楽家はアメリカ大陸にまで楽団を組織して進出した。国内には B.チェルノホルスキー,X.ブリクシ,ゼゲルらがとどまった。 19世紀に入って新たな民族主義勃興とともに,K.エルベンやシュクロウプの先駆者的な仕事に続いて,みずから革命運動に銃を取ったスメタナが登場し,ドボルザークが続いた。西欧的な語法とスラブ的な情熱を1つの器に盛ったのがボヘミア楽派特徴であり,その後は V.ノバーク,J.スークらが現れている。

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