ボーマン(読み)ぼーまん(英語表記)Sir William Bowman

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボーマン」の意味・わかりやすい解説

ボーマン(Isaiah Bowman)
ぼーまん
Isaiah Bowman
(1878―1950)

アメリカ地理学者ハーバード大学で地形学者デービスに師事したのち、エール大学に移り、アンデスペルーの地理学的調査に従事し多くの報告書を著した。なかでも1924年にアメリカ地理学会より刊行された『アタカマ砂漠踏査記』Desert Trails of Atacamaが代表作である。1913年にはアメリカ地理学会会長に選ばれ、同学会のラテンアメリカ100万分の1万国図を完成させた。1933年にはジョンズ・ホプキンズ大学学長となったが、地理学者以外にも行政官として、第一次世界大戦後のパリ講和会議に、アメリカ合衆国代表委員として出席している。

織田武雄


ボーマン(Sir William Bowman)
ぼーまん
Sir William Bowman
(1816―1892)

イギリス眼科医。王立ロンドン眼科病院で眼科学を研修して医師となった。イギリス眼科学の創始者で、1880年イギリス眼科学会を創立してその初代会長となった。この学会では彼を記念してボーマン講演Bowman Lectureが行われているが、1949年ボーマン・メダルBowman Medalが制定されて、その講演者に贈られている。彼が1847年発表した角膜前境界膜はボーマン氏膜として知られ、また眼毛様体の輪匝(りんそう)線維および縦走線維も彼が初めて記載したといわれる。

[福島義一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボーマン」の意味・わかりやすい解説

ボーマン
Bowman, Sir William

[生]1816.7.20. チェシャー,ナントウィッチ
[没]1892.3.29. ドーキング近郊
イギリスの解剖学者,生理学者,眼科医。 1837年にロンドン大学医学部に入り,25歳でキングズカレッジ病院に勤務。種々の組織の微細構造の研究を始め,41~42年の間に随意筋構造と機能,肝臓の微細構造,腎臓の構造と機能などについての研究報告を出した。特に重要なのは腎臓の研究で,尿のろ過にあずかる糸球体嚢ボーマン嚢とも呼ばれている。次いで眼の研究に入り,46年にロンドン王立眼科病院の医師になった。 80~83年イギリス眼科学会初代会長。数多くの眼科手術法を創案,実施した。

ボーマン
Borman, Frank

[生]1928.3.14. インディアナ,ギャリー
アメリカの宇宙飛行士陸軍士官学校卒業 (1950) 後,空軍に勤務,パイロットとしての訓練を受ける。 1957年カリフォルニア工科大学から航空工学で修士の学位を取得。その後陸軍士官学校などで教え,62年第2期宇宙飛行士の一人に選ばれた。 65年 12月ジェミニ7号に J.ラベルとともに乗り,地球を 220周し,ジェミニ6号と初めてのランデブーに成功。次いで,68年 12月ラベル,W.アンダース両宇宙飛行士とともにアポロ8号で初めて月に向い,月のまわりを 10周して帰還した。 70年1月アメリカ航空宇宙局 (NASA) を退職。

ボーマン
Bowman, Isaiah

[生]1878.12.26. オンタリオ,ウォータールー
[没]1950.1.6. メリーランド,ボルティモア
アメリカの地理学者。行政にもたずさわり,アメリカ地理学会を国際的学会に育て上げた。のちジョンズ・ホプキンズ大学学長 (1935~48) 。 1919年のパリ講和会議には W.ウィルソン大統領およびアメリカ代表団の顧問として参加した。 F.ルーズベルト大統領在任中は科学・国家政策の相談に応じた。主著に『新大陸-政治地理学の諸問題』 The New World,Problems in Political Geography (第4版,28) がある。

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