ネオレアリズモ(読み)ねおれありずも(英語表記)Neorealismo

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネオレアリズモ」の意味・わかりやすい解説

ネオレアリズモ
ねおれありずも
Neorealismo

1940年代から1950年代末にかけてイタリア文学映画において支配的であった潮流、傾向を示すことば。字義的には「新しいリアリズム」の意。レジスタンス=解放戦争によってファシズムを倒し、君主制を廃止して共和国として生まれ変わったイタリアの「新しい現実」の芸術的表現がネオレアリズモであった。

[古賀弘人]

文学

作品、文学活動を現実の社会との緊張関係においてとらえ、文学の果たすべき役割、作家の負う責務を鋭く問うたことが最大の特徴であった。各地方、とりわけ、貧しい南部イタリアの問題を真正面から取り上げた小説が数多く生まれたこと、方言多用といった言語面の変革も見逃すことはできない。ファシズム下の窒息した文学状況にあってネオレアリズモの土壌となったのは、イタリア固有のリアリズムであったベルガの「ベリズモ」と、パベーゼビットリーニらが翻訳、紹介に力を尽くした新興のアメリカ文学の活力であった。

 具体的な作品としては、ネオレアリズモの先駆と目されるパベーゼの『故郷』とビットリーニの『シチリアでの対話』(ともに1941年刊)のほか、レービの『キリストはエボリにとどまりぬ』(1945)、カルビーノ『蜘蛛(くも)の巣の小道』(1947)、プラトリーニ『貧しい恋人たち』(1947)、『メテッロ』(1955)、ヨービネ『秘蹟(ひせき)の地』(1950)、フェノッリオ『アルバ市の23日間』(1952)などがあり、後続のカッソーラバッサーニパゾリーニらの初期作品も含まれる。詩ではクアジーモドの一連の抵抗詩、雑誌では『ポリテクニコ』(1945~1947)、叢書(そうしょ)では「ジェットーニ」叢書(1951~1958)の功績が大であり、最後に、狭義の文学作品ではないが、イタリア・ネオレアリズモの精神のありかを喚起するものとして、抵抗運動の刑死者の残した書簡を集めた『イタリア抵抗運動の遺書』とグラムシの『獄中ノート』の重要性はいかに強調してもしすぎることはない。

[古賀弘人]

映画

一方、第二次世界大戦末期から大戦後にかけてイタリアに新しい傾向の映画が生まれ、世界各国に新鮮な衝撃を与えた。現実を凝視するカメラが特長となっており、素人俳優の採用やロケーション撮影によるドキュメンタリー的要素が強い画期的な手法で、テーマは社会的なものが多く、強いヒューマニズムで訴えた。これら初期のネオレアリズモ映画の代表的作品に、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』(1945)、『戦火のかなた』(1946)、ビットリオ・デ・シーカの『靴みがき』(1946)、『自転車泥棒』(1948)、ルキーノ・ビスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942)、『揺れる大地』(1948)、ピエトロ・ジェルミの『無法者の掟(おきて)』(1949)などがあり、デ・シーカの『ウンベルトD』(1952)は、深刻化する老人問題の予見的作品。脚本家で理論家のチェーザレ・ザバッティーニCesare Zavattini(1902―1989)も重要な役割を果たし、ミケランジェロ・アントニオーニ、フェデリコ・フェリーニらもここから育っていった。当時、ハリウッドの大スターであったイングリッド・バーグマンはロッセリーニのもとへ走り『ストロンボリ』(1950)に主演。これらネオレアリズモの映画は、同じ敗戦国の日本人批評家や観客へも感銘を与えて、論壇では「リアリズム」をめぐる議論が活発化した。一方、フランスでは映画批評家アンドレ・バザンがネオレアリズモを高く評価して、ヌーベル・バーグら若い世代に大きな影響を与えた。

[岩本憲児]

『今村太平著『イタリア映画――そのネオ・リアリズム』(1953・早川書房)』『アンドレ・バザン著、小海永二訳『映画とは何かⅢ 現実の美学・ネオ=リアリズム』(1973・美術出版社)』『柳澤一博著『イタリア映画を読む』(2001・フィルムアート社)』

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