ミード(読み)みーど(英語表記)George Herbert Mead

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミード」の意味・わかりやすい解説

ミード(Margaret Mead)
みーど
Margaret Mead
(1901―1978)

アメリカの文化人類学者。バーナード・カレッジで心理学を学んだのち、コロンビア大学でF・ボアズに師事して人類学を修めた。アメリカ人類学界の草分けとして、1925年以降アメリカ領サモアアドミラルティ諸島のマヌース島、ニューギニア島、バリ島などにて活発な現地調査を行い、『サモアの思春期』(1928)、『ニューギニアの成育』(1930)、『三つの未開社会における性と気質』(1935)などを著す。文化相対主義を力説したボアズの忠実な弟子であるとともに、ベネディクトの「文化の型」を抽出する手法にも強い影響を受けた。文化一般に広い関心を維持し、研究は多岐にわたるが、もっとも強く興味をもっていたテーマは、子供の養育が社会によりどのように異なり、そこでの人格形成が、その文化の特徴といかに関連しているか、ということである。アメリカの人類学界では早くから心理学的方法が導入されていたが、文化と人格形成との関連を主張する「文化とパーソナリティー」学派のなかでも中心的存在となった彼女は、ジャーナリズムを通じ一般読者にも広く影響を与えた。『男性と女性』(1949)は、三つのニューギニア社会における子供の養育と男女の役割分担を比較したもので、現代西欧文明の男女の役割規定が人類普遍のものではないことを示した著作として有名である。

 多くの現地調査をこなし多数のベストセラーを創出して、アメリカ人類学界の長老としての地位を築いたが、のちにその調査報告の誤りがいくつか指摘され、調査の粗雑さが批判された。とはいえ文化人類学の発展に大きな功績があったことは否定できない。1926年よりアメリカ自然史博物館に勤務、1954年からはコロンビア大学でも教鞭(きょうべん)をとった。自伝に『女として人類学者として』(1972)がある。

[山本真鳥 2019年1月21日]

『和智綏子訳『女として人類学者として――マーガレット・ミード自伝』(1975・平凡社)』『畑中幸子・山本真鳥訳『サモアの思春期』(1976・蒼樹書房)』『M・ミード著、太田和子訳『地球時代の文化論――文化とコミットメント』(1981・東京大学出版会)』『M・ミード著、畑中幸子訳『フィールドからの手紙』(1984・岩波書店)』


ミード(George Herbert Mead)
みーど
George Herbert Mead
(1863―1931)

アメリカの哲学者、社会心理学者。W・ジェームズの影響を受けるとともに、J・デューイに影響を与え、プラグマティズムの展開のなかで重要な位置を占める。マサチューセッツ州に生まれる。オベリン大学卒業後、ハーバード大学大学院で学ぶ。3年間のヨーロッパ留学ののち、1891年ミシガン大学講師、1892年シカゴ大学に移り、亡くなるまで教授として教壇に立った。精神(心)や自我が言語(有意味シンボル)による他人との社会的交渉のなかから生まれることを明らかにし、社会的行動主義とよばれる理論を創唱した。また彼の哲学は客観的相対主義の立場にたつ。消化器官があって初めて食物が存在しうるように、対象や価値は客観的であると同時に、自然における諸条件の組合せの下でのみ発現する相対的なものであるとされる。死後出版された『現在の哲学』(1932)、『精神・自我・社会』(1934)、『19世紀の思想の動き』(1936)、『行為の哲学』(1938)は、近年広く社会学者たちの注目を集めている。

[魚津郁夫]

『稲葉三千男・滝沢正樹・中野収訳『現代社会学大系10 ミード――精神・自我・社会』(1973・青木書店)』


ミード(James Edward Meade)
みーど
James Edward Meade
(1907―1995)

イギリスの経済学者。オックスフォード、ケンブリッジ両大学で学んだのち、1930~37年オックスフォード大学の経済学の特別研究員、講師を務め、第二次世界大戦時から戦後にかけては内閣の経済スタッフとして戦時経済の運営や戦後の国内・国際経済の再建策の立案にあたった。47~57年ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスの教授、57~69年ケンブリッジ大学経済学部教授、69年以降同大学名誉教授。なお、この間64~66年王立経済学会会長も務めた。研究分野は広いが、国際経済学や経済政策が中心領域である。おもな著書には『経済学入門――分析と政策』An Introduction to Economic Analysis and Policy(1936)、『国際経済政策の理論』The Theory of International Economic Policy全2巻(1951、55)、『経済学原理』Principles of Political Economy全4巻(1965~76)などがある。77年ノーベル経済学賞を受賞。

[藤野次雄]

『北野熊喜男・木下和夫訳『経済学入門――分析と政策』(1952/改訳版・1966・東洋経済新報社)』『山田勇監訳『経済成長の理論』(1964・ダイヤモンド社)』『大和瀬達二他訳『経済学原理1 定常経済』(1966・ダイヤモンド社)』『大和瀬達二他訳『経済学原理2 成長経済』(1972・ダイヤモンド社)』『柴田裕・植松忠博訳『公正な経済』(1980・ダイヤモンド社、『経済学原理4』の訳)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミード」の意味・わかりやすい解説

ミード
Meade, James Edward

[生]1907.6.23. スワンジ
[没]1995.12.22. ケンブリッジ
イギリスの経済学者。ケンブリッジ大学,オックスフォード大学で学び,1930~37年オックスフォードのハーフォード・カレッジのフェロー兼講師,1938~40年国際連盟経済部員,第2次世界大戦中から政府の経済部に勤め,1940年経済補佐官,1946年同局長として戦時経済の運営,戦後の国内・国際経済の再建策立案に努める。1947~57年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授(1960~74同学長),1957~68年ケンブリッジ大学教授,1964~66年王立経済学会会長,1972年モルバン・カレッジ学長,1975~77年財務調査研究所委員会委員長などを歴任。1962年アメリカ経済学会名誉会員,1966年アメリカ芸術・科学アカデミー外国人名誉会員。1977年ベルティル・G.オリーンとともにノーベル経済学賞受賞。研究分野は非常に広かったが,中心は国際経済学経済政策であった。主著『経済学入門-分析と政策』An Introduction to Economic Analysis and Policy(1936),『経済計画価格機構-自由制社会主義の経済理論』Planning and the Price Mechanism(1948),"The Theory of International Economic Policy"(2巻,1951~55)など。

ミード
Mead, George Herbert

[生]1863.2.27. マサチューセッツ,サウスハドレー
[没]1931.4.26. シカゴ
アメリカの社会学者,哲学者,心理学者。ドイツ留学後,シカゴ大学教授。シカゴ学派の中心的学者の一人であり,W.ジェームズや J.デューイと並ぶプラグマティズムの思想家。社会的行動主義を提唱したが,J.B.ワトソン流の行動主義を批判し,自我の発達を社会的交互作用の過程のなかでとらえねばならぬとし,現代の社会心理学心理人類学にも大きな影響を与えた。生前,単行本は公刊しなかったが,講義や論文がまとめられている。主著『現在の哲学』 The Philosophy of the Present (1932) ,『精神・自我・社会』 Mind,Self,and Society (34) ,『行為の哲学』 The Philosophy of the Act (38) 。

ミード
Mead, Margaret

[生]1901.12.16. フィラデルフィア
[没]1978.11.15. ニューヨーク
アメリカの文化人類学者。バーナード・カレッジ,コロンビア大学卒業。 1929年に同大学博士号取得。在学中,F.ボアズ,R.ベネディクトらの影響を受けた。 1926年よりアメリカ自然史博物館に勤務。アドミラルティ諸島,ニューギニア,バリ島の現地調査に従事。 54年よりコロンビア大学人類学助教授,60年アメリカ人類学会会長,69~71年フォーダム大学人類学教授などを歴任。人類学に心理学的研究を導入し,幼年期の育児様式がその社会におけるパーソナリティ形成に果す役割を重要視し,文化とパーソナリティの理論に貢献した (→心理人類学 ) 。主著『男性と女性』 Male and Female (1949) 。

ミード
The Mead Corp.

アメリカの製紙会社。 1930年設立。紙,パルプ,板紙メーカーとして成長する。 86年にクラウン・ゼラバックの流通部門を買収。白色紙,オフセット用コート紙,装飾紙,板紙,包装用資材など紙製品を幅広く製造するほか,学校・事務用品なども扱う。また,子会社を通じて森林産物の生産や電子出版なども手がけたが,電子出版部門は 94年に売却。 96年,アラバマ州のダンボール工場を拡充するとともにメーン州のコート紙・特殊紙工場を買収してこの部門を強化した。年間売上高 50億 7700万ドル,総資産 52億 3000万ドル,従業員数1万 6300名 (1997) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報