ムハンマド・アフマド(その他表記)Muḥammad Ahmad

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムハンマド・アフマド」の意味・わかりやすい解説

ムハンマド・アフマド
Muḥammad Ahmad

[生]1844.8.12. ドゥンクラー
[没]1885.6.22. オムドルマーン
スーダンの宗教運動の指導者シャリーフ (預言者ムハンマドの家系) を称する家に生れ,1870年からナイル川中のアッバー島で布教活動を始めた。イギリスのうしろだてを得たエジプト政府の占領下にあった東スーダンで,81年マフディー (救世主) を称して,外国の侵略者にジハード (聖戦) を宣言した。彼を逮捕するためにアッバー島に来た近代装備のエジプト軍を棍棒だけで打ち破ったのを手始めに,83年1月には重要都市ウバイドを落し,11月イギリス人 W.ヒックス指揮下の1万のエジプト軍を全滅させた。 85年,10ヵ月にわたる攻防ののち,イギリス人将軍 C.ゴードンの守るハルツームを落し,ゴードンを戦死させた。ハルツームの陥落で,東スーダンはマフディーのもとで独立した政治連合を形成した。マフディーは奴隷制と貧民への課税の廃止などの政策をとったが,実行に移す前に急死した。死後後継者 (カリフ) がしばらく東スーダンを統治したが,98年イギリス軍に再征服され,彼の墓はゴードン将軍の殺害者としてイギリス軍にあばかれ,その灰はナイル川に投じられた。 (→マフディーの反乱 )

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改訂新版 世界大百科事典 「ムハンマド・アフマド」の意味・わかりやすい解説

ムハンマド・アフマド
Muḥammad Aḥmad
生没年:1844ころ-85

スーダンのマフディー運動の指導者,マフディー派の創始者。ドゥンクラー(ドンゴラ)の船大工の子で,シャリーフの家系といわれる。1881年アバ島でマフディーたることを宣言,ヨーロッパオスマン帝国,エジプトなどの諸勢力に対しジハード運動を急速に拡大した。エジプト軍を各地で破り,85年救援のゴードン将軍の率いるイギリス軍をハルトゥームに全滅させたが,マフディー国家建設の途上で病死した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ムハンマド・アフマド」の解説

ムハンマド・アフマド
Muḥammad Aḥmad

1844~85

スーダンのマフディーの乱の指導者。1844年ナイル川の船大工の子として生まれ,幼少時からスーフィズム勉強をした。81年マフディーを宣言し,エジプトとイギリスに対するジハードを開始した。85年没したが,反乱は後継者(カリフ),アブド・アッラーフにより98年まで継続された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ムハンマド・アフマド」の解説

ムハンマド=アフマド
Muḥammad Aḥmad bn‘Abd Allāh

1844ごろ〜85
スーダンのイスラーム改革者。マフディー運動の指導者
トルコやエジプトの支配の腐敗やイスラームの堕落に抗して,1881年自ら「マフディー(救世主)」を名乗り,マフディー国家の樹立をめざして聖戦を開始した。エジプト軍を各地で破り,1885年にはゴードン将軍率いるイギリス軍を全滅させたが,同年病死した。

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世界大百科事典(旧版)内のムハンマド・アフマドの言及

【オムドゥルマン】より

…人口23万(1993),大都市域人口127万(1993)。白ナイルをはさんで首都ハルツームの北の対岸にあり,1885年マフディー派の軍を率いたムハンマド・アフマドが都として建設した。行政・経済の中心地ハルツームと対照的にスーダンの伝統を伝える文化的・精神的中心地となっている。…

【スーダン】より

…それは,資本主義時代の原料獲得のための植民地経営の幕開けであった。 エジプト圧制下の住民の危機的状況のなかで,スーフィーのムハンマド・アフマドは,イスラムの危機がシャリーアの施行に責任を負うはずのオスマン帝国やエジプトの権力によって導入されていると受け止め,エジプト占領体制を打破してシャリーアを施行し,イスラムの革新を図ろうと考えた。81年,ムハンマド・アフマドのマフディー宣言とともに開始されたマフディー反乱を通じて,終末論的なジハードを目ざす教団国家を形成,85年エジプト占領を完全に駆逐した。…

【マフディー】より

…カイサーン派の隠れメシアの観念はシーア派にも受け入れられ,十二イマーム派は第12代目イマームのムハンマド・アルムンタザルが隠れメシアになったと信じ,イスマーイール派は別の隠れイマームの血統を継ぐマフディーが再臨してファーティマ朝を開いたと主張した。イスラムにおける終末論的マフディー思想の伝統は根強く,ムワッヒド運動におけるイブン・トゥーマルトマフディー派運動におけるムハンマド・アフマド,1979年11月のメッカのカーバ襲撃事件におけるカフターニーなど,激しい抗議と抵抗運動の際,しばしばマフディーと称する者が活躍する。【嶋田 襄平】。…

※「ムハンマド・アフマド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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