ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムハンマド・アフマド」の意味・わかりやすい解説
ムハンマド・アフマド
Muḥammad Ahmad
[没]1885.6.22. オムドルマーン
スーダンの宗教運動の指導者。シャリーフ (預言者ムハンマドの家系) を称する家に生れ,1870年からナイル川中のアッバー島で布教活動を始めた。イギリスのうしろだてを得たエジプト政府の占領下にあった東スーダンで,81年マフディー (救世主) を称して,外国の侵略者にジハード (聖戦) を宣言した。彼を逮捕するためにアッバー島に来た近代装備のエジプト軍を棍棒だけで打ち破ったのを手始めに,83年1月には重要都市ウバイドを落し,11月イギリス人 W.ヒックス指揮下の1万のエジプト軍を全滅させた。 85年,10ヵ月にわたる攻防ののち,イギリス人将軍 C.ゴードンの守るハルツームを落し,ゴードンを戦死させた。ハルツームの陥落で,東スーダンはマフディーのもとで独立した政治連合を形成した。マフディーは奴隷制と貧民への課税の廃止などの政策をとったが,実行に移す前に急死した。死後も後継者 (カリフ) がしばらく東スーダンを統治したが,98年イギリス軍に再征服され,彼の墓はゴードン将軍の殺害者としてイギリス軍にあばかれ,その灰はナイル川に投じられた。 (→マフディーの反乱 )
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