日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリアの子供」の意味・わかりやすい解説
マリアの子供
まりあのこども
Marienkind
昔話。禁忌を破った報いを主題にした運命譚(たん)の一つ。グリム兄弟の昔話集で知られる。貧しい木こりがいる。聖母マリアが現れ、ひとり娘を預かってくれるという。娘は天国で幸せに暮らす。聖母が旅に出るとき、天国の部屋の鍵(かぎ)を娘に預ける。13番目の部屋だけは開けるなといわれるが、娘は開けてしまう。聖母に開けなかったと嘘(うそ)をついたため、地上に降ろされる。娘は口がきけないが、森へ狩りにきた王様に助けられ結婚する。1人目の男子が生まれたとき、聖母が現れ正直に告白することを勧めるが、娘はやはり嘘をつく。聖母は子供を連れ去る。娘は人食い鬼だと噂(うわさ)がたつ。2人目も3人目も同様にして連れ去られる。娘が人食い鬼として火あぶりの刑になるとき、正直に告白すると、雨が降りだして火が消える。聖母が3人の子供を連れて下ってくる。娘は罪を許されて口がきけるようになり、幸せに暮らす。宗教的には、告白をすれば罪は許されるという、告白のたいせつさを説いている。
日本の「見るなの座敷」も同じ主題をもつ。類話はヨーロッパに広く分布している。聖母のかわりに魔女が養母になっている例のほうが多いが、それがキリスト教社会では、教会の説教の素材として語られたものであろう。ヨーロッパでは、キリスト教的な昔話や聖者伝が口伝えで伝えられており、グリム兄弟の昔話集にもその実例がある。「森の聖ヨーゼフ」は、親切な娘は異郷で富を得るが、不親切な娘は失敗する「親切と不親切」(日本の昔話の「鼠(ねずみ)浄土」型)の型を踏むもので、その異郷の主を聖ヨーゼフとし、親切な娘は信心深く、守り神もついていたと、キリスト教的な教義を加えて聖者物語の形にしている。日本でも、社寺やそこに所属する人々が、昔話などの口承物語の発達展開に重要なかかわりをもってきたが、キリスト教社会でも、修道院や教会を舞台にする宗教者が、同じような役割を果たしてきた。こうした昔話の幻想性とキリスト教との合流によって培われた文芸思潮が、ベルギーのメーテルリンクの『青い鳥』やイギリスのバリーの『ピーター・パン』などの戯曲を生み出す土壌をなしている。
[小島瓔]
『高橋健二訳『グリム童話全集1』(1976・小学館)』