マンデス・フランス(読み)まんですふらんす(英語表記)Pierre Mandès France

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マンデス・フランス」の意味・わかりやすい解説

マンデス・フランス
まんですふらんす
Pierre Mandès France
(1907―1982)

フランスの政治家パリ生まれ。弁護士出身。1932年の選挙に25歳で急進社会党から立候補し当選。以後1940年まで下院議員を務め、1938年の短命な第二次ブルム内閣の財務次官となった。第二次世界大戦中は一時ビシー政府に捕らえられるが、ロンドンに逃れ、自由フランス空軍、ついでドゴールのフランス解放委員会に参加した。解放後の1944年ドゴール臨時政府の国民経済相に就任するが翌1945年辞任。ふたたび下院議員(1946~1958、1967~1968)を務め、しばしば国際金融機構でフランスを代表した。フランス軍のディエン・ビエン・フーの敗戦直後の1954年6月、インドシナ戦争を批判してきた前歴を買われて首相に就任し、ジュネーブ会議インドシナ休戦協定を成立させた。その後もチュニジアに自治を認めるなど懸案解決に努めたが、反対も強まり1955年辞任。1956年モレ内閣の国務相となるが、首相のアルジェリア政策を批判して同年辞任。ドゴールの政界復帰に反対して1959年急進党を除名され、統一社会党に所属したが、1973年に第一線を退いた。第四共和政時代のもっとも優れた政治家の1人であったが、議会頭越しに直接国民に呼びかけるその政治スタイルが、ユダヤ系の家系と相まって敵を多くし大成を妨げた。

[平瀬徹也]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マンデス・フランス」の意味・わかりやすい解説

マンデス=フランス
マンデスフランス
Mendès-France, Pierre

[生]1907.1.11. パリ
[没]1982.10.18. パリ
フランスの政治家。パリ大学で法律を学び,1928年法学博士,同年弁護士となった。 32~40年急進社会党下院議員。第2次世界大戦中ビシー政府に捕えられ,41年脱走,ロンドンに逃れ,42年自由フランス空軍に参加。 44年自由フランス臨時政府の経済相。 45年財政,経済政策がいれられず辞任。 46~58年下院議員として政府の経済政策,インドシナ・北アフリカ政策などをきびしく批判。 54年6月首相兼外相,インドシナ休戦のジュネーブ協定調印,チュニジアの完全自治権を認めた。しかし経済,アルジェリア問題に対する急進的な政策から右派離反を招き,55年2月辞任。 55~57年急進社会党副党首。 56年副首相。 58年総選挙で落選。 59年指導力の低下とともに離党し,その後統一社会党に加わった。 65年の大統領選挙では C.ドゴールに反対し F.ミッテランを支持。 67~68年下院議員。主著『現代の共和制』 La république moderne (1962) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

お手玉

世界各地で古くから行われている遊戯の一つ。日本では,小豆,米,じゅず玉などを小袋に詰め,5~7個の袋を組として,これらを連続して空中に投げ上げ,落さないように両手または片手で取りさばき,投げ玉の数や継...

お手玉の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android