ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マールブルク会談」の意味・わかりやすい解説
マールブルク会談
マールブルクかいだん
Colloquy of Marburg
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ドイツのルター派とスイスの改革派両教会とが,皇帝カール5世の圧力に対抗する軍事同盟を目ざし,神学的調停を図るためヘッセン方伯フィリップの仲介で開いた宗教討論。1529年10月1日から3日までマールブルクで開かれた。ルター,メランヒトン,ツウィングリ,ブツァー,エコランパディウスら,おもだった宗教改革の指導者が会した。15の条項において福音主義の大綱につき合意に達したが,肝心の聖餐におけるキリストの身体の臨在様式をめぐっては,遍在説を主張するルターと象徴説に傾くツウィングリの間で,ついに意見の一致を見ることができずに終わった。結局,両派は別々の道を歩むことになり現在にまで至っている。
執筆者:出村 彰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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[スイスの宗教改革]
これより先,1522年以来,エラスムスとルターの影響下に,ツウィングリがスイスのチューリヒで市政府と提携しつつ宗教改革運動を展開し,この運動はバーゼル,ベルンなどにも広がっていた。ルター派のヘッセン方伯フィリップPhilipp der Grossmütige(1504‐67)は,ドイツのプロテスタントとツウィングリ派とを合同させようと図り,29年,マールブルクの居城で,ルター,メランヒトンらとツウィングリらスイスの改革指導者との宗教会談(マールブルク会談)を開かせたが,聖餐の典礼の解釈をめぐって両者は意見が合わず,合同の試みは挫折した。まもなく起こったスイスのカトリック諸州との戦争で,ツウィングリが31年に陣没したのち,この地の宗教改革は壊滅に
した。…
※「マールブルク会談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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