マールブルク会談(読み)マールブルクかいだん(その他表記)Colloquy of Marburg

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マールブルク会談」の意味・わかりやすい解説

マールブルク会談
マールブルクかいだん
Colloquy of Marburg

新教連合結成を目指すフィリップ・フォン・ヘッセンが,聖餐問題で 1524年以来分裂していたドイツ,ザクセンの改革者とスイスの改革者を一致させるため 29年 10月1~4日マールブルク (現マールブルクアンデアラーン) に催した両陣営の会談。ドイツ側は M.ルター,P.メランヒトン,スイス側は H.ツウィングリ,J.エコランパディウス,M.ブーツァーが出席,ほかに諸侯,諸領邦代表,60名の来賓らが参列。聖餐式の「これわが体なり」をめぐって実在説と象徴説が対立。ルターが 15ヵ条の協定を作成,実在説を述べた第 15条のみがツウィングリによって拒否された。協定は討議,修正され,神学者らの署名ののち,新教の信仰表明として伯に受容され,のちにルター派教会アウクスブルク信条に部分的に取入れられた。

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改訂新版 世界大百科事典 「マールブルク会談」の意味・わかりやすい解説

マールブルク会談 (マールブルクかいだん)
Marburger Religionsgespräch

ドイツのルター派とスイスの改革派両教会とが,皇帝カール5世の圧力に対抗する軍事同盟を目ざし,神学的調停を図るためヘッセン方伯フィリップ仲介で開いた宗教討論。1529年10月1日から3日までマールブルクで開かれた。ルター,メランヒトン,ツウィングリ,ブツァー,エコランパディウスら,おもだった宗教改革の指導者が会した。15の条項において福音主義大綱につき合意に達したが,肝心の聖餐におけるキリストの身体の臨在様式をめぐっては,遍在説を主張するルターと象徴説に傾くツウィングリの間で,ついに意見の一致を見ることができずに終わった。結局,両派は別々の道を歩むことになり現在にまで至っている。
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世界大百科事典(旧版)内のマールブルク会談の言及

【宗教改革】より


[スイスの宗教改革]
 これより先,1522年以来,エラスムスとルターの影響下に,ツウィングリがスイスのチューリヒで市政府と提携しつつ宗教改革運動を展開し,この運動はバーゼル,ベルンなどにも広がっていた。ルター派のヘッセン方伯フィリップPhilipp der Grossmütige(1504‐67)は,ドイツのプロテスタントとツウィングリ派とを合同させようと図り,29年,マールブルクの居城で,ルター,メランヒトンらとツウィングリらスイスの改革指導者との宗教会談(マールブルク会談)を開かせたが,聖餐の典礼の解釈をめぐって両者は意見が合わず,合同の試みは挫折した。まもなく起こったスイスのカトリック諸州との戦争で,ツウィングリが31年に陣没したのち,この地の宗教改革は壊滅にした。…

※「マールブルク会談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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