日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘッセン」の意味・わかりやすい解説
ヘッセン
へっせん
Hessen
ドイツ中部を占める州。面積2万1114平方キロメートル、人口606万8100(2000)。州都はウィースバーデン。1945年に制定された州域は、北部、中部、南部に分けられる。ウェーザー川支流フルダ川の流域に属す北部とライン川支流ラーン川の流域に属す中部は、フォーゲルスベルク火山(774メートル)、タウヌス山地、ヘッセン丘陵地など緩い起伏の山地・丘陵地とその間に点在する盆地からなる。各盆地には、カッセル、マールブルク、ギーセン、フルダなどの地方中心都市が発達し、周辺は耕地や牧草地が広がり、森林も多い。南ヘッセンは、ライン・マイン地方と称され、ライン川とマイン川の河谷平野である。気候温暖でブドウ栽培や園芸農業もみられるが、州都や州内最大の都市フランクフルト・アム・マイン、オッフェンバハ、ダルムシュタットなど多くの商工業都市が集中し、ドイツ経済の中核地の一つである。
[朝野洋一]
歴史
13世紀後半にチューリンゲン地方伯領から分離し、カッセルを首都として独立の地方伯領となった。宗教改革時代にフィリップ1世(寛大公、在位1509~67)は新教派諸侯の指導者として活躍したが、その死後領土は4人の子供の間で分割された。そのうちで長く続くのはヘッセン・カッセルと、ヘッセン・ダルムシュタットである。ヘッセン・カッセルは旧領の大半を含み、1803年には選帝侯位を認められた。ナポレオン時代には一時ウェストファリア王国に併合されたが、その没落とともに独立を回復、1866年のプロイセン・オーストリア戦争でオーストリア側にたったために、プロイセンに合併された。第二次世界大戦後はヘッセン州の一部となっている。ヘッセン・ダルムシュタットはプロイセン・オーストリア戦争で領土の一部をプロイセンに割譲、1870年ドイツ帝国に加わり、第二次世界大戦後ヘッセン州とラインラント・プファルツ州とに分属することになった。
[中村賢二郎]