ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムゾレワ」の意味・わかりやすい解説
ムゾレワ
Muzorewa, Abel Tendekayi
[没]2010.4.8. ジンバブエ,ハラレ
ジンバブエの政治家,聖職者。南ローデシアのキリスト教メソジスト派の学校で教育を受け,1958~63年アメリカ合衆国のセントラル・メソジスト・カレッジ,スカーリット・カレッジに学んだ。1963年帰国,1968年ユナイテッド・メソジスト教会のローデシア地区主教に就任。アフリカ人政党が白人政権によって非合法化され,民族解放運動の指導者のほとんどが投獄されていた 1970年代に政治家として台頭。1971年アフリカ民族評議会 ANC(1977統一アフリカ民族協議会 UANCに改称)を組織してその議長となり,唯一の合法的アフリカ人民族主義組織となった ANCを基盤に急激に影響力を強めた。1974年の南ローデシア制憲予備会談,1975年のビクトリア瀑布会談などで解放勢力を代表する立場に立ったが ANCは 1975年9月に分裂した。1978年スミス少数白人政権がムゾレワらの穏健派に黒人多数支配を認め,1979年両者の協力で行なわれた総選挙で UANCが第一党となると,白人と黒人の連合政府ジンバブエ・ローデシアの首相(在任 6~12月)に就任した。しかし,ANCと袂を分かったジョシュア・ンコモらの愛国戦線 PFは白人指導体制打倒を目指して武力闘争を続けた。1980年の完全独立を賭けた総選挙で,ジンバブエ・アフリカ民族同盟=愛国戦線 ZANU-PFに大敗。1985年政界から引退した。(→ローデシア問題)
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