ムラノ(その他表記)Murano

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムラノ」の意味・わかりやすい解説

ムラノ
Murano

イタリア北東部,ベネト州ベネチア県,ベネチア本島北方 1.5kmにある潟湖上の三つの小島からなる地域。島々運河にかけられた橋によって結ばれる。 1291年にガラス工場が本島から移転して以来,ベネチア・ガラスの産地として栄え,貴族たちの保養地であった。 15世紀には絵画等で一派をなし,名高い庭園がつくられた (→ベネチア派 ) 。観光地として知られ,モザイクの美しい舗道 (11世紀) が残り,10~11世紀のサンタ・マリア・エドナト聖堂,ジョバンニ・ベリーニやパオロ・ベロネーゼの絵画のある 14世紀のサン・ピエトロ・マルティーレ聖堂などで知られる。ガラス博物館が所在。面積 4.59km2人口 7500 (1987推計) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ムラノ」の意味・わかりやすい解説

ムラノ
Murano

イタリアのベネチア潟に浮かぶ五つの小島。人口約7800。ベネチア・ガラス製造で世界にその名が知られている。ランゴバルド族襲撃を逃れて大陸住民がこの島にも移住した。それ以後長い間,島の自治が保たれていたが,12世紀にはベネチアの統治区になった。1292年,ベネチア総督は火災防止の理由で,ベネチアのすべてのガラス工房をこの島に移し,ムラノのガラス工芸の歴史が始まった。15,16世紀に繁栄の頂点に達し,人口も3万にのぼった。
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世界大百科事典(旧版)内のムラノの言及

【ガラス工芸】より

…東方貿易を独占して巨利を得ていたベネチアは,ヨーロッパ人のあこがれの的であるイスラム・ガラスを自らの手で生産・販売する計画を立て,政府の援助でガラス産業を育成保護した。1291年にはすべてのガラス工人およびその関係者をベネチア沖のムラノ島に集中的に移住させ,島外不出の掟を作って,ガラス技術の国外流出を防ぐとともに,その製品のヨーロッパ世界への独占的販売を行った。ヨーロッパ文化の中心となったルネサンスのイタリアを背景にして,ベネチアのガラス工芸は飛躍的な発達を遂げた。…

【ベネチア】より

…ベネチアはこのような生きた潟のデリケートな自然環境のうえに誕生し,水辺の困難な条件を克服しながら独特の都市を築き上げた。潟の中には,ほかにもトルチェロ島,ブラノ島,ムラノ島など多くの島が散在する。 この町は117の小さな島々がモザイク状に集まって成立している。…

【ベネチア・ガラス】より

…イタリアのベネチアで発達展開してきたガラス工芸で,優れた技巧と華麗な装飾性にその特色がある。その歴史は10世紀にさかのぼるが,1291年にすべてのガラス工人を,ベネチア沖のムラノ島に集中移住させ,島外不出の掟と手厚い保護政策を加えることによって,本格的な発達を遂げ,それ以来17世紀ころまでヨーロッパ市場に独占的なガラス工芸品の供給を行ってきた。14~16世紀の製品は,エナメル彩色を施した酒杯やテーブル・ウェア,秘伝技術による平面鏡,17世紀にはレースのような白い線文様を表現したレース・グラスlace glassや華麗な色彩と装飾豊かなガラス細工によるテーブル・グラスやシャンデリアなどで典型的なベネチア・ガラスの様式を確立した。…

※「ムラノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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