ベリーニ(読み)べりーに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベリーニ」の意味・わかりやすい解説

ベリーニ
Bellini, Giovanni

[生]1430. ベネチア
[没]1516. ベネチア
イタリアのベネチア派画家。ヤコポ・ベリーニの次男。父のパドバ工房修業。初期の『ゲッセマネの祈り』,『ピエタ』や『クレスピ聖母』などは,まだマンテーニャ風であるが,次第にその影響から脱して,鋭い感受性で強固な形態感をやわらげ,明るく輝かしい色彩描写をみせるようになる。 1487年の『双樹の聖母子』や,88年のベネチアのサンタ・マリア・ディ・フラリ聖堂祭壇画,サン・ピエトロ大聖堂祭壇画などは,アントネロ・ダ・メッシナの油彩画法を取入れ,彼の芸術の成熟をよく示している。晩年には『レオナルド・ロレダーノの肖像』 (1501頃) のようなすぐれた肖像画,また寓意画や風景描写にもすぐれた才能を発揮し,その長い生涯の活動は 15世紀のベネチア派を決定的に確立し,後代に非常な影響力をもった。

ベリーニ
Bellini, Gentile

[生]1429. パドバ
[没]1507. ベネチア
イタリアのベネチア派の画家。ヤコポ・ベリーニの長子で幼時をパドバの父の工房でおくり,2歳ほど年少の義弟マンテーニャの影響も強い。その後急速に自己の画境を開き,1479~81年には選ばれてスルタン宮廷画家となり,コンスタンチノープルで『メフメット2世の肖像』 (ロンドン,ナショナル・ギャラリー) など多くの肖像画を描いた。この期の作品には,東方ミニアチュールの影響も認められる。ベネチア帰国後は,同地で活躍中のアントネロ・ダ・メッシナの油彩画法に魅せられ,微妙な光やさまざまな色彩の美しさを追究した。また風俗画的関心も示して『サン・マルコ広場の行列』 (ベネチア・アカデミア美術館) や『聖十字架の奇跡』 (同) などを描き,ベネチア派をさらに絵画的ならびに色彩的方向に推し進めた。

ベリーニ
Bellini, Jacopo

[生]1400頃
[没]1470
イタリアのベネチア派の画家。ベリーニ一族の長。一時パドバで工房をもち,のちベネチアに移った。初め,当時支配的な東方ビザンチン様式から出発。 15世紀初頭,G.ファブリアーノがピサネロを伴って同地を訪れ,北方ゴシック様式を披露するに及んでその影響を受け,やがてベネチア派特有の色彩主義の画風樹立。『聖母子』 (ウフィツィ美術館ほか) や,2冊の素描集 (ルーブル美術館,大英博物館) が知られている。

ベリーニ
Bellini, Vincenzo

[生]1801.11.3. カタニア
[没]1835.9.23. ピュトー
イタリアのオペラ作曲家。音楽家の家に生れ,シチリアの貴族の後援を受けてナポリへ行き,N.ツィンガレーリに師事。 1827年にミラノのスカラ座で最初のオペラ『海賊』を上演。 31年にはミラノで相次いで名作『夢遊病の女』と『ノルマ』を発表した。 35年に『清教徒』が上演された直後,パリ近郊の友人宅を訪れ,そこで死亡。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベリーニ」の意味・わかりやすい解説

ベリーニ(Jacopo Bellini)
べりーに

ベッリーニ


ベリーニ(Gentile Bellini)
べりーに

ベッリーニ


ベリーニ(Giovanni Bellini)
べりーに

ベッリーニ


ベリーニ(Vincenzo Bellini)
べりーに

ベッリーニ

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