出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
イタリアの作曲家。ロッシーニ,ドニゼッティとともに19世紀初頭のイタリア・オペラ界に黄金時代を築いた。祖父,父も音楽家。6歳で作曲を始めナポリの王立音楽学校に入学,1825年卒業制作の最初の歌劇で成功。台本作者によき協力者ロマーニFelice Romani,さらに当時最高の歌手たちの出演を得て成功を重ね,招かれて訪れたロンドンやパリのサロンで多くの芸術家と親交を結び強い影響を受けた。生地にちなんで〈カターニアの鶯〉などといわれた。いくぶん哀愁を含んだ美しい旋律は他に類をみず,イタリア語の洗練された美しい語韻と流麗で優雅な抒情的旋律との結合によってイタリア・オペラのベル・カントの伝統に最後の輝きを与えた功績は大きい。短命の中に《夢遊病の女》《ノルマ》(ともに1831),《清教徒》(1835)など13曲の歌劇のほか,宗教曲,歌曲,器楽曲にも優れた作品を残した。
執筆者:武石 英夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報