イタリア、シチリア島北東部、メッシーナ県の県都。人口23万6621(2001国勢調査速報値)。メッシーナ海峡に面する商工業・港湾都市。地震が多く、1783年、1894年、1908年などの大地震と第二次世界大戦により甚大な被害を受けた。とりわけ1908年12月の大地震では建物の91%が破壊され、6万人以上の死者が出た。そのため、歴史の古さにもかかわらず、歴史的建築物のほとんどが残っておらず、市街地はきわめて近代的な外観を呈している。食品、造船、機械、化学などの工業がある。対岸の本土とはフェリーボートで結ばれ、シチリア島の他の地方よりもイタリア本土のカラブリアとの間に密接な利害関係を有する。
[堺 憲一]
ラテン名メッサーナMessana、ギリシア名メッセネMessene。紀元前725年ごろクーマエ人が植民したのが起源で、ザンクレZancleと称した。イタリア本土のレギオン(レギウム)の支配下にあったが、エーゲ海のサモス島、そしてギリシア本土のメッセニアから移住者がきて名もメッセネとかわった。やがてシラクーザの支配下に入り、前3世紀にはシラクーザの傭兵(ようへい)マメルティニの支配に苦しみ、おりから対立を深めていたローマ、カルタゴ双方に援助を仰いだので第一次ポエニ戦争勃発(ぼっぱつ)の因となった。まもなくローマと同盟し、結局はローマ支配に服していった。その後、交通の要地として繁栄して中世に至り、ノルマン人占領後も修道院が多くつくられ、十字軍兵士の出港地ともなった。アンジュー伯、スペインなどの支配を受けてしだいに衰え、18世紀末にはペストが蔓延(まんえん)した。いまはシチリア第三の都市となっている。
[松本宣郎]
シチリア北東部の海港都市。同名の海峡を挟んでイタリア半島に対峙する戦略拠点。前8世紀にギリシア人の植民により建設された。ローマ,ビザンツ,ノルマンなどが重要拠点として支配。1908年の地震で壊滅したが,のち再興。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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