ヤロー(読み)やろー(その他表記)Rosalyn Sussman Yalow

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヤロー」の意味・わかりやすい解説

ヤロー
やろー
Rosalyn Sussman Yalow
(1921―2011)

アメリカの物理学者ニューヨークに生まれる。ハンター・カレッジ(現、ニューヨーク市立大学)卒業後、イリノイ大学原子核物理学を学び、1945年博士号を取得した。連邦電気通信研究所で技師、ハンター・カレッジで教師を務めたのち、1947年ブロンクス在郷軍人病院でラジオ・アイソトープを利用した医療の研究を開始し、1972年上級研究員となった。1968年からマウント・サイナイ医科大学の教授を兼任した。

 1950年代にバーソンSolomon A. Berson(1918―1972)と共同で、ラジオイムノアッセイ法(放射標識免疫検査法)の開発を行った。これは、ラジオ・アイソトープで標識された試料を用い、抗原抗体反応を利用してインスリンのようなペプチドホルモンを検出し定量するものであり、極微量(10-12グラムのレベル)の分析を可能にした。この検査法はその後も広く用いられ、医学、生理学の発展に大きく貢献した。1977年、「ラジオイムノアッセイ法の開発」によりノーベル医学生理学賞を受賞した。また、この技術を応用し各種のペプチドホルモン分離同定に成功したギルマンシャリーも同時に受賞した。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤロー」の意味・わかりやすい解説

ヤロー
Yalow, Rosalyn S.

[生]1921.7.19. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2011.5.30. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の医療物理学者。フルネーム Rosalyn Sussman Yalow。1941年ニューヨーク市立大学ハンター・カレッジで修士号,1945年イリノイ大学で原子核物理学の博士号を取得。1947年にブロンクス復員軍人局病院の原子核物理学の顧問,1950~70年同病院の放射線同位体局の副局長を経て,1970年に同病院の研究所(のちのニュークリア・メディカル・サービス)の所長に就任した。1979~85年イェシーバ大学アルバート・アインシュタイン医学校特任教授を務め,1985年マウント・サイナイ医科大学特任教授に就任。1950年以降,ソロモン・A.バーソンとともに,一部の糖尿病患者にみられるインスリンに対する抵抗反応現象の研究を続け,インスリン抵抗性をもつ患者の体内ではインスリンに含まれる蛋白質を中和する抗体が免疫系で生産されていることをつきとめた。さらにインスリン濃度を測定する手法としてラジオイムノアッセイ法 RIAを開発した。RIAはインスリンだけでなくさまざまな極微量物質の分析にも大きく寄与しており,その功績により 1977年,ロジャー・C.L.ギルマン,アンドルー・V.シャリーとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。1976年女性初のラスカー賞,1988年ナショナル・メダル・オブ・サイエンスを受賞。

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化学辞典 第2版 「ヤロー」の解説

ヤロー
ヤロー
Yalow, Rosalyn Sussman

アメリカの生化学者.旧姓Sussman.ハンター大学を卒業後,イリノイ大学に学び,1945年核物理学で博士号を取得.その後,ニューヨークのブロンクス在郷軍人病院に勤務し,放射性同位体を扱う核医学部の主任となる.医師のS.A. Bersonとともに,放射性同位元素で標識した抗原を用いたホルモンの微量定量法を開発し,ホルモンに関係する各種の病気の診断を可能にした(1959年).この業績で,1977年ノーベル生理学・医学賞を受賞.同時に受賞したR.C.L. Guillemin(ギルマン)とA.V. Schally(シャリー)が,視床下部より放出されるペプチドホルモンの構造を決定する際,彼女らが開発したラジオイムノアッセイ法が大きな役割を果たした.アルバート・アインシュタイン医科大学教授(1979年)を経て,1985年マウント・サイナイ医科大学教授となる.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

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