シャリー(読み)しゃりー(英語表記)Andrew Victor Schally

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャリー」の意味・わかりやすい解説

シャリー
しゃりー
Andrew Victor Schally
(1926― )

アメリカの生理学者。ポーランドのビルノ(現在はリトアニアビリニュス)に生まれる。第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)したため、家族とともにイギリスに移住、ロンドン大学で化学を学び、1949年から1952年まで国立医学研究所に勤務した。1952年カナダに渡り、モントリオールのマッギル大学で医学、生化学を学び、1957年博士号を取得した。同年アメリカに移り、ヒューストンのベイラー大学医学部の助教授となった。1962年ニュー・オーリンズの在郷軍人病院内分泌研究室長に就任、1966年にはチューレン大学の教授となった。

 ベイラー大学のギルマンの研究室で副腎皮質刺激ホルモンACTH放出因子の分離を試みたが失敗、以後ギルマンとは独立に研究を進めた。1969年、ギルマンに先だって甲状腺(せん)刺激ホルモン放出因子(TRF)の単離に成功、1971年には日本人研究者の協力のもとで黄体形成ホルモン放出因子(LH‐RH:Luteinizing hormone-releasing factor)の単離に成功し、それがペプチドで構成されていることを明らかにした。これらの研究には、極微量の分析を行うためにヤローが開発したラジオイムノアッセイ法が用いられた。1977年「脳のペプチドホルモン生産に関する発見」に対してノーベル医学生理学賞を、ギルマンおよびヤローとの同時に受賞した。

[編集部 2018年8月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャリー」の意味・わかりやすい解説

シャリー
Schally, Andrew V.

[生]1926.11.30. ウィルノ
ポーランド生まれのアメリカ合衆国の医学者,内分泌学者。フルネーム Andrew Victor Schally。1939年家族とともにイギリスに移住,ロンドン大学で化学を学び,1949年から 3年間ロンドンの国立医学研究所に勤務。その後カナダのマギル大学に入学,1957年生化学で博士号を取得。同 1957年アメリカのベイラー医科大学で助教授に就任,1962年までロジェ・C.L.ギルマンと共同で ACTH (副腎皮質刺激ホルモン) の放出にかかわる物質の分離を目指し,700万頭ものヒツジブタの脳髄成分を抽出した。1962年ニューオーリンズの在郷軍人病院内分泌研究室長,1967年テュレン大学医学部教授に就任。その後は甲状腺刺激ホルモン放出因子 TRHの分離に傾注し,1969年,ブタから取り出した TRHの同定に成功した。1971年には黄体形成ホルモン放出因子 LHRHを発見。1977年ギルマン,ロザリン・S.ヤローとともにノーベル生理学・医学賞を受賞。

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化学辞典 第2版 「シャリー」の解説

シャリー
シャリー
Schally, Andrew Victor

ポーランド生まれのアメリカの内分泌学者.カナダのマギル大学で学位を取得.1957年アメリカに渡りヒューストンのベイラー大学の助教授となり,1962年ニューオリンズ在郷軍人病院の主任,1967年同地のチューレン医科大学の教授となった.一時期R.C.L. Guillemin(ギルマン)とともに視床下部より放出される物質の単離を行ったが,1962年から独立して,16.5万頭のブタの脳より黄体形成ホルモン放出ホルモンを単離し,このペプチドホルモンのアミノ酸配列順序を決定した(1971年).そのほか甲状腺刺激ホルモン放出因子および成長ホルモン放出抑制因子の構造を明らかにした.この研究は内分泌学の進歩をもたらす重要な基礎研究である.1977年脳のペプチドホルモンの生成に関する研究で,Guilleminとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

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