ギルマン(読み)ぎるまん(英語表記)Roger Charles Louis Guillemin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギルマン」の意味・わかりやすい解説

ギルマン(Roger Charles Louis Guillemin)
ぎるまん
Roger Charles Louis Guillemin
(1924―2024)

アメリカの生理学者。フランスのディジョンに生まれる。ディジョン大学、リヨン大学に学び、のちカナダのモントリオール大学に移り、セリエの指導によって1953年同大学の生理学博士号を取得した。同年アメリカに渡り、ヒューストンのベイラー医科大学生理学部の助教授、ついで教授を務めた。1970年サン・ディエゴのソーク研究所に入所、1989年まで務めたが、この間、カリフォルニア大学の教授を兼任した。

 ベイラー医科大学において下垂体ホルモンの研究に着手、シャリーの協力のもとで副腎(ふくじん)皮質刺激ホルモン(ACTH)の放出を調整する物質の単離を試みたが失敗に終わり、以後2人は別々にホルモンの研究を行った。ギルマンは1969年に甲状腺(せん)刺激ホルモン放出因子(TRF)の単離に成功、それがペプチドで構成されていることを明らかにした。1973年に成長ホルモンの抑制ホルモンであるソマトスタチンの単離にも成功している。これらの研究には、ヤローの開発した微量物質検出法であるラジオイムノアッセイ法が利用された。1977年「脳のペプチドホルモン生産に関する発見」に対してノーベル医学生理学賞が与えられたが、シャリー、ヤローとの同時受賞であった。

[編集部 2018年7月20日]

『グッドマン、ギルマン編、高折修二他監訳『薬理書――薬物治療の基礎と臨床』第12版、上下(2013・広川書店)』


ギルマン(Alfred G. Gilman)
ぎるまん
Alfred G. Gilman
(1941― )

アメリカの薬理学者。コネティカット州ニュー・ヘブン生まれ。地元エール大学で生化学を専攻し1962年に卒業。1969年ケース・ウェスタン・リザーブ大学で医学博士号を取得後、国立衛生研究所のM・ニーレンバーグのもとでサイクリックアデノシン一リン酸(cAMP:cyclic adenosine monophosphate)を研究。1977年バージニア大学薬理学教授。1981年にテキサス大学サウスウェスタン医学センター教授、薬理学部長となった。

 1960年代にM・ロッドベルが、細胞膜受容体が受け取ったシグナルを細胞内に伝えるためには、受容体と実際に働く酵素の間で情報を変換する機能分子が必要なことを示した。1980年にギルマンは情報伝達系に変異をもつリンパ腫細胞を用いて、この機能分子の単離精製に成功した。さらに、グアノシン三リン酸(GTP)と結合して活性化することからGタンパク質と名づけられたこの情報変換分子の構造や働きを明らかにした。その後多くの種類のGタンパク質がみつかり、細胞の情報伝達機構研究の新しい分野が開かれた。これらの功績により、ロッドベルとともに1994年のノーベル医学生理学賞を受賞した。

[馬場錬成]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ギルマン」の意味・わかりやすい解説

ギルマン
Guillemin, Roger

[生]1924.1.11. フランス,ディジョン
[没]2024.2.21. アメリカ合衆国,カリフォルニア,サンディエゴ
ロジェ・ギルマン。フランス生まれのアメリカ合衆国の生理学者。フルネーム Roger Charles Louis Guillemin。間脳の視床下部から分泌されるホルモンの研究により,1977年アンドルー・V.シャリー,ロザリン・S.ヤローとともにノーベル生理学・医学賞(→ノーベル賞)を受賞した。
フランスのディジョンとリヨン,カナダのモントリオールの大学で学んだのち,1953~70年にアメリカのベイラー医科大学で教鞭をとった。この間の 1960~63年にはコレージュ・ド・フランスの実験内分泌学部門の副部長として在籍した。1963年にアメリカ市民権を取得。1970年,カリフォルニア州ラホヤのソーク生物学研究所教授に就任,1971年からはカリフォルニア大学サンディエゴ校教授を兼任した。ベイラー医科大学では,「神経内分泌学の父」と称されるイギリスの解剖学者ジェフリー・ウィングフィールド・ハリス Geoffrey Wingfield Harrisの仮説の立証を試み,視床下部から分泌されるホルモンが脳下垂体(下垂体)への連絡機能をもち,ホルモン分泌の調節に関与していることを実証した。その後,視床下部ホルモンの分離・合成の研究に取り組み,1969年にシャリーとともに,甲状腺刺激ホルモンサイロトロピン)の放出を調節するサイロトロピン放出因子の分離・同定に成功。1973年にはソマトスタチンの発見に成功し,糖尿病および消化器の潰瘍の治療薬として期待された。このほか,痛みの知覚にかかわる重要な蛋白質,エンドルフィンも発見した。

ギルマン
Gilman, Alfred Goodman

[生]1941.7.1. コネティカット,ニューヘーブン
[没]2015.12.23. テキサス,ダラス
アメリカ合衆国の薬理学者。1962年エール大学卒業後ケース・ウェスタン・リザーブ大学で学び,1969年博士号取得。1969~71年アメリカ国立衛生研究所,1971~81年バージニア大学勤務後,1981年からテキサス大学サウスウェスタン医学センター薬学部長。マーチン・ロッドベルが 1960年代に提唱した,G蛋白質が受容体から酵素へ情報を伝達する中継機構の役割を果たしているとする学説を発展させ,1970年代に,細胞膜にある G蛋白質遺伝子を欠損させたリンパ球による実験で,G蛋白質の細胞内情報伝達への関与を証明した。その後も多くの G蛋白質を単離,精製し,その構造を特定し,細胞膜の受容体から G蛋白質を介した細胞内情報伝達機構の解明にあたった。この研究は G蛋白質異常が関与するコレラや癌など,多くの疾患の解明に多大な貢献した。その功績により 1994年,ロッドベルとともにノーベル生理学・医学賞を受賞。

ギルマン
Gilman, Daniel Coit

[生]1831.7.6. コネティカット,ノーウィッチ
[没]1908.10.13. コネティカット,ノーウィッチ
アメリカの教育家。ジョンズ・ホプキンズ大学初代総長。 1852年エール大学を卒業,ロシア大使館員としてペテルブルグに駐在,54~55年ベルリンに留学。帰国後 17年間エール大学に在職ののち,72~75年バークリーのカリフォルニア大学学長,75~1901年ジョンズ・ホプキンズ大学総長。その後 04年までカーネギー財団初代理事長。高等教育,教育事業の助成,振興などに貢献した。

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化学辞典 第2版 「ギルマン」の解説

ギルマン
ギルマン
Guillemin, Roger C.L.

フランス生まれのアメリカの生化学者.1943年ディジョンの医学校に入学,1948年からカナダのモントリオール大学に留学し,ストレス学説で有名な内分泌学者H. Selyeの実験医学研究所で内分泌系の研究をした.1949年にリヨン大学に論文を提出して医学の学位を取得.卒業後ふたたびカナダに渡り,モントリオール大学で1953年に生理学のPh.D.を取得.同年,アメリカのベイラー大学ベイラー医学カレッジに職を得,1970年サンディエゴのソーク研究所の教授となり,1989年に引退.下垂体から出る各種ホルモンは,視床下部から出る物質により調節されていることを証明し,その物質である甲状腺刺激ホルモン放出因子,黄体形成ホルモン放出因子,および成長ホルモン放出抑制因子などペプチドホルモンのアミノ酸配列順序を決定し,神経内分泌学の画期となった.脳のペプチドホルモンに関する研究で,1977年A.V. Schally(シャリー)とともにノーベル生理学・医学賞を受賞.二人のし烈な研究競争は有名である.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

大学事典 「ギルマン」の解説

ギルマン
Daniel Coit

アメリカ合衆国のユニバーシティの形成者と呼ばれる高名な学長で,ハーヴァードのエリオットと比肩される。イェール大学で地理学を教え,創設期のカリフォルニア大学長(1872-75)となり,モリル法の適用を受けて農業と工業を教えることを大学の課題とした。農業教育では州の農民団体(グレンジャー)と対立を深めて1875年に大学を去る。その後,請われて新設のジョンズ・ホプキンズ大学の学長(1875-1901)となった。新設された無名の大学を無名の教授陣でどのように優れた大学へと導くかが課題であったが,国内の優れた大学長などの意見を聞き,当時のドイツ大学に比肩し得る教育と研究の機能をもった新しい大学を創設した。世界初の試みである大学院を設置して成功をおさめ,アメリカの大学を世界の大学へと導いた功労者とされる。ギルマンの下で大学院に学び,アメリカの歴史に名を残した人物は,哲学者ジョン・デューイ,歴史家フレデリック・ジャクソン・ターナー,第28代大統領ウッドロウ・ウィルソンなど枚挙にいとまがない。
著者: 羽田積男

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ギルマン」の意味・わかりやすい解説

ギルマン
Charlotte Perkins Stetson Gilman
生没年:1860-1935

アメリカの女性解放思想家,評論家,作家。結婚後,独立した人格を失うという恐れから神経衰弱になったが,夫と離れ文筆活動に没頭するうちに立ち直った。著書《女性と経済》(1898)がベストセラーとなり,20世紀初めには重要な思想家として評価されるにいたった。男女の平等のためには女性の経済的自立を必要とし,そのためには家庭のあり方も変えなければならないとし,女性解放への理論を提供したが,婦選運動などの実践活動には加わらなかった。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ギルマン」の意味・わかりやすい解説

ギルマン

米国の女性解放思想家。女性の経済的自立を説き,女性解放運動に理論的根拠を提供。著書《女性と経済》(1898年)。

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20世紀西洋人名事典 「ギルマン」の解説

ギルマン


ジルマンをも見よ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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