イギリスの小説家。4月22日、サマーセットシャの名門の家に生まれる。幼時は裕福に育ったが、11歳で母に死なれ、父が再婚したあとはかならずしも家庭的に恵まれなかった。イートン校に学んだが、イギリスの大学には進まず、1728年、処女戯曲『恋の種々相』をロンドンで上演させたのち、オランダのライデン大学に入学して1年半ほど在籍、主として古典文学を学んだ。以後ロンドンに定住、30年から37年までに大小二十数編の戯曲を書き、一時は自ら一劇場の経営にもあたって、劇壇での地位を築いた。劇作では『トム・サム一代記』(1730)あたりが有名。当時は政治風刺の脚本が多く、彼もそのほうに手腕を発揮したため、時のウォルポール内閣はこれに恐れをなして、37年「検閲令」を制定、かつ劇場の多くを閉鎖させ、彼の劇壇活動は、執筆、劇場経営ともここで頓挫(とんざ)の憂き目をみた。この年法律の勉強を始め、40年法律家として登録、以後死ぬまで表芸は法律家であり、48年以後はロンドンの判事となった。
文筆のほうでは1739年秋から『チャンピオン』という週3回発行の新聞に健筆を振るい、かつその経営にもあたった。なお彼はこののち小説家として名をなしてからも、新聞を経営、同時に定期的執筆をした時期が三度ある。45~46年の『真の愛国者』新聞、47~48年の『ジャコバイト』新聞、52年の『コベント・ガーデン』新聞がそれである。
1740年、S・リチャードソンの小説『パミラ』の成功に刺激あるいは反発を感じて、翌41年戯作(げさく)『シャミラ』(『にせパミラ』の意)を匿名で発表、さらに42年、小説としての第一作『ジョーゼフ・アンドルーズ』を書いた。主人公はパミラの実弟という趣向で、リチャードソンを揶揄(やゆ)する書き出しだが、序文で自作を「散文による喜劇的叙事詩」と宣言し、人間の笑うべき虚偽を暴露する作品を標榜(ひょうぼう)して、リチャードソンとはまったく別の芸術境を開拓し、すこぶる好評を得て、以後リチャードソンと生涯の好敵手というべき関係になった。雄編『トム・ジョーンズ』(1749)も同じ趣旨の執筆だが、規模も大きく、首尾も整い、人間をみる目も肥えて、彼の代表作となった。ほかに、実在の人物をモデルにした『大盗ジョナサン・ワイルド伝』(1743、改版1754)と『アミーリア』(1751)の両作があるが、どちらも前記二作に及ばない。リチャードソンが女性心理の描写を得意としたのに対し、彼はきびきびした男性を縦横に活躍させた。女性を主人公とした『アミーリア』は、リチャードソンへの対抗意識から生まれたかもしれないが、やはり彼の本領ではなかった。判事職が板についたための教訓癖も目だつ。しかし前記二作でイギリス小説確立期の代表作家たる地位は揺るがない。晩年は痛風に苦しみ、職を辞してリスボンに保養の旅に出かけたが、54年10月8日、同地で客死した。墓はいまも同地にある。『リスボン航海日記』(1755)は死後出版。このほか、判事の立場から犯罪防止のための建白なども執筆している。
[朱牟田夏雄]
『朱牟田夏雄著『フィールディング』(1966・研究社出版)』▽『田能口盾彦訳『シャミラ』(1985・朝日出版社)』
イギリスの劇作家,小説家,治安判事。貴族の血をひく紳士階層の家に生まれ,イートン校を卒業。1728年,処女作上演後,オランダのライデン大学に学び,翌年ロンドンに帰って劇作家として活躍する。20以上の作品が上演されたが,笑劇が多く,その中には《作家の笑劇》《トム・サム》(ともに1730),《落首》(1736),《1736年歴史記録》(1737)などがあり,これらは当時のウォルポール内閣に反対する政治風刺を含んでいた。そのため37年劇場検閲令が制定されるや劇界を退き,法学院に2年半学んで司法官の資格を得る。
彼にとってさらに大きな転機となったのはS.リチャードソンの小説《パミラ》(1740)の出版である。この小説を偽善的として強い反発を感じた彼は,まずそのパロディとして《シャミラ》(1741)を発表,翌年小説《ジョゼフ・アンドルーズ》を出版して好評を博した。この小説で彼は〈喜劇的ロマンス〉または〈喜劇的散文叙事詩〉を主張した。続いてこれまでの書き物に《ジョナサン・ワイルド大王》などを加えて《雑録》3巻(1743)として出版。また45年のジャコバイトの反乱に際しては政府側の新聞を発行した。フィールディングの小説は古典主義的な伝統に立って明るい笑いを特質としているが,それは代表作《トム・ジョーンズ》(1749)に最も顕著に示されている。しかし1748年よりロンドンのウェストミンスター地区の治安判事に任ぜられ,単に明るいとはいえないさまざまな現実苦に満ちた世界を見ることとなった。こうした現実に対して社会改革の提案もしているが,小説としては苦難の中の夫婦の試練を描いたのが《アミーリア》(1751)である。文筆活動と治安判事としての激務などのため健康を害し,54年リスボンへの転地療養を試みる。しかし遺稿《リスボン航海日記》を残してリスボンで客死。
執筆者:榎本 太
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