改訂新版 世界大百科事典 「ライプチヒ討論」の意味・わかりやすい解説
ライプチヒ討論 (ライプチヒとうろん)
Leipziger Disputation
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…1510年より死までインゴルシュタット大学神学教授。17年のルターの〈九十五ヵ条提題〉に神学的に反論した最初のひとりであり,19年にはライプチヒでカールシュタットおよびルターと神学討論(ライプチヒ討論)をしたのも有名。ルターに対する破門脅迫教勅(1520)の起草と公布に参画し,30年アウクスブルク国会のさいにはルター反対の四百四ヵ条を準備し,さらにルター派の〈アウクスブルク信仰告白〉への論駁書の起草に中心的な役割を果たした。…
…当初ローマ教皇庁はこの事件をたいして問題にせず,ルターの側でも論題の真意を詳しく解説した書物を公にして,教皇の理解を求めたが,贖宥状販売に直接かかわっていたドミニコ会の神学者たちとの論争を通じて,双方の対立は時を追って厳しくなり,ドミニコ会の告発で,翌18年6月には,ルターに対する異端審理がローマで開始される。そして19年6~7月,教皇側の最も有力な正統神学者エックとの間に,ライプチヒで行われた討論会(ライプチヒ討論)において,ルターがついに教皇の至上権を明確に否認し,公会議も誤りを犯す可能性があり,フスの学説にも福音的なものがあると公言するにおよんで,ローマ教会との決裂は事実上とり返しのつかぬものとなった。
[ルターの改革構想]
〈神の言〉たる聖書を唯一の権威とし,信仰者の良心をかけたルターの勇敢な教皇権批判は,フッテンをはじめドイツの人文主義者たちの強い支持を得,エラスムスを尊敬する神学者メランヒトンのごときは,1518年いらいウィッテンベルク大学におけるルターの同僚教授として,その改革運動の協力者となった。…
… そのころザクセン選帝侯領境まで来て頒布されていたテッツェルによる贖宥状(免罪符)頒布に上述の認識と信仰によって反対する〈九十五ヵ条提題〉を――一説にはウィッテンベルク城教会の扉に掲示して――17年10月末公にしたことが,歴史上の事件としての宗教改革の具体的なきっかけとなり,多くの賛同とローマ・カトリック教会の反対とを招くことになった。18年にはアウクスブルクで枢機卿カエタヌスによる教会審問を受け,自説の取消しを拒否,19年にはエックとライプチヒで討論(ライプチヒ討論)して,教皇も公会議も無謬ではありえないと主張した。そのころからみずからの信仰と神学を,学者のためにはラテン語で,民衆のためにはドイツ語で著作して公にしはじめ,20年にはそれは一つの山を迎えて《キリスト者の自由》をはじめとする多くの著作が出版される。…
※「ライプチヒ討論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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