ライムント(その他表記)Ferdinand Raimund

改訂新版 世界大百科事典 「ライムント」の意味・わかりやすい解説

ライムント
Ferdinand Raimund
生没年:1790-1836

オーストリア劇作家俳優ウィーンに生まれ,早く父を失い,劇場の菓子売子から旅役者となり,1814年にウィーンの下町のレオポルト劇場の俳優となった。このころウィーンの民衆劇として音楽入りの魔法妖精劇が人気を呼んでいたが,そのような劇作家である師匠グライヒやマイスルの劇作を手伝うようになり,23年からは作者としても活躍し,ウィーンの市民の世界と妖精の世界の交錯する魔法(茶番)劇を完成の域に高めた。バロック劇の二元構造とシェークスピアやF.グリルパルツァーの文学性も備えた彼の傑作のうち《百万長者になった百姓》(1826),《アルプス王と人間嫌い》(1828),《浪費家》(1834)は現在でもよく上演される。これらの作品では,たいていは彼がみずから主役を演じた。人間不信家だったライバルのJ.ネストロイに比べると,彼の作品は温かい人間味が豊かで,幕切れは主人公の改心で終わる。この構造は反動期のモラルを反映しているともいえる。喜劇作家でありながら憂うつ症になり,狂犬病を恐れてピストル自殺した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ライムント」の意味・わかりやすい解説

ライムント
Raimund, Ferdinand

[生]1790.6.1. ウィーン
[没]1836.7.5. ポッテンシュタイン
オーストリアの劇作家,演出家。本名 Raimann。若い頃から旅回りの劇団に加わり,ウィーンの舞台に立ったりしたのち演出家となる。妖精劇の完成者で,貧しい民衆に共感を寄せた戯曲を書き,グリルパルツァーとともにウィーン劇壇の発展に貢献した。死は自殺による。代表作『おとぎの世界から来た娘,または百万長者となった農夫』 Das Mädchen aus der Feenwelt oder Der Bauer als Millionär (1826) ,『浪費家』 Der Verschwender (34) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ライムント」の意味・わかりやすい解説

ライムント
らいむんと
Ferdinand Raimund
(1790―1836)

オーストリアの俳優、劇作家。ウィーン生まれ。ネストロイとともにオーストリア民衆劇の最盛期を築いた功労者。職人の父を若くして亡くし、菓子屋の見習いとしてブルク劇場に出入りしたことが演劇の道に進むきっかけとなった。従来の民衆劇が単なる笑いを求めていたのに対して、彼はバロック劇の伝統にたち、笑いにまじめな悲哀の色調を混ぜ合わせ、質の向上に努めた。代表作は『妖精(ようせい)の国から来た乙女』(1826)、『アルペン王と人間嫌い』(1828)、『浪費家』(1834)など。

[佐藤自郎]

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百科事典マイペディア 「ライムント」の意味・わかりやすい解説

ライムント

オーストリアの劇作家。喜劇役者としても活躍。ウィーンの庶民的演劇の伝統の上に妖精喜劇と呼ばれるジャンルを完成。《百万長者になった百姓》(1826年),《浪費家》(1834年)など。

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世界大百科事典(旧版)内のライムントの言及

【ドイツ演劇】より

…また,ロマン派の傍流であるH.vonクライストの個の深淵にふみこんだ戯曲の方が,むしろしだいに演じられるようになっていった。
[19世紀]
 ウィーンでは,民衆演劇が魔法妖精劇という独特なジャンルを生み出し,19世紀前半にはF.ライムントやJ.ネストロイが下町の劇場で活躍し民衆に親しまれた。教養的,文学的なドラマはF.グリルパルツァーによって代表されるが,これらのドラマも,ビーダーマイヤー的な世界観において民衆劇と通底するところがある。…

※「ライムント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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