ラスカリス(その他表記)Andreas Iōannēs Laskaris

改訂新版 世界大百科事典 「ラスカリス」の意味・わかりやすい解説

ラスカリス
Andreas Iōannēs Laskaris
生没年:1445ころ-1535

ビザンティン帝国出身の人文主義者。ラテン名Andreas Johannes Lascaris。ベネチア在住の同胞ベッサリオン枢機卿を頼りイタリアに渡ったが,1472年同枢機卿が死んだためフィレンツェに移り,メディチ家当主ロレンツォの庇護を得て,アポロニオスカリマコス,《ギリシア詞華集》等の校訂本出版を手がけた。またメディチ家の代理人としてトルコ支配下の旧帝国領を巡り,ギリシア古典の古写本を買い集めた。彼のギリシア古写本収集作業は,同輩ムスロスMarkos Mousouros(1470ころ-1517)の業績と併せて,ローマ古典の古写本発掘にポッジョ・ブラッチョリーニが果たした役割と比較される。1494年メディチ家の支配体制が崩壊するとフランスの庇護を求め,フランス訪問の後,1503年から5年間はフランス大使としてベネチアに住み,マヌティウスの〈ネアカデミア〉の中枢となって活躍した。1513年メディチ家出身の教皇レオ10世が即位すると,ローマに招かれギリシア古典を講じたが,1518年国王フランソア1世の招きでフランスを再訪し,フォンテンブロー宮蔵書を整備し,ビュデギリシア語を教えた。1523年メディチ家出身の教皇クレメンス7世が即位するとローマに戻り,同教皇の死の翌年ローマで没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラスカリス」の意味・わかりやすい解説

ラスカリス
Lascaris, Constantine

[生]1434. コンスタンチノープル
[没]1501. メッシナ
イタリアに亡命したギリシア文法学者。 1453年コンスタンチノープル陥落後,ミラノに移ってスフォルツァ家教師となった。のちナポリ,メッシナでギリシア語を教え,多くの貴重なギリシア語写本を残した。"Erotemata" (1476) はギリシア語文法の良書として長く価値を保った。

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世界大百科事典(旧版)内のラスカリスの言及

【メディチ家】より

…【在里 寛司】
[メディチ家蔵書]
 メディチ家第2代当主コジモはニッコロ・ニッコリやポッジョ・ブラッチョリーニらの収書活動に援助を与え,また彼らの協力を得てギリシア・ローマ古典や教父著作の古写本を自らも買い集めたが,ニッコリが死ぬと,彼が遺贈した収書を基に自らの蔵書の一部も加えて1447年サン・マルコ修道院内に図書室を開設し,一般に公開して利用に供した。収書熱は息子のピエロをはじめとする後代にも引き継がれ,とくに第3代当主ロレンツォはラスカリスに委嘱して旧ビザンティン帝国領内に散在するギリシア古典写本を系統的に集めさせた。こうして収集された写本のうち貴重なものは,サン・マルコ図書室の蔵書とは別に非公開の蔵書として自邸内にとどめられたが,フィチーノやポリツィアーノらメディチ家出入りの人文主義者には自由に貸し与えられ,古典研究に益した。…

※「ラスカリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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