ラファルグ(読み)らふぁるぐ(英語表記)Paul Lafargue

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラファルグ」の意味・わかりやすい解説

ラファルグ
らふぁるぐ
Paul Lafargue
(1842―1911)

フランスの社会主義者。サンティアゴ・デ・キューバに生まれる。9歳でフランスに渡り、パリで医学を修めた。プルードン主義の影響を受け、反帝(反ナポレオン)運動にかかわって大学を追われ、ロンドンに亡命。そこでマルクスと知り合い、彼の次女ラウラLauraと結婚(1868)。1866年に第一インターナショナル評議会メンバーとなり、パリ・コミューンに参加。敗北後スペインに亡命し、反バクーニン主義の闘争を展開した。1880年に大赦で帰国、その後二度投獄され(1883、1891)、1891年には下院議員に当選。ゲードとともにフランス労働党の結成に力を注ぎ、1905年までその指導にあたった。ドレフュス事件(1894)を契機にゲードとの対立が深まり、彼と決別した。不十分なドイツ語の能力を克服してマルクス、エンゲルスの著作の多くをフランス語に翻訳し、マルクス主義をフランスに導入、普及させた。晩年厭世(えんせい)観に陥り、年老いて生き長らえることに抗し、1911年11月25日の夜、観劇を終えてドラベーユの自宅で妻とともに自殺した。

[佐藤 清]

『P・ラファルグ著、田淵晉也訳『怠ける権利』(平凡社ライブラリー)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラファルグ」の意味・わかりやすい解説

ラファルグ
Lafargue, Paul

[生]1842.1.15. サンチアゴ
[没]1911.11.25. ドラベイユ
フランスの社会主義運動家。 1865年第1インターナショナルに参加。 69年ロンドンでマルクスの娘ラウラと結婚し,帰仏して,80年フランス労働党の創立に加わった。 85~1904年『社会主議評論』 Revue Socialiste誌,次いで『社会主義者』 Le Socialiste誌を発行。 1885~94年リール選出の代議士。 99年には政府への社会主義者の参加を非難した。老いを嫌って夫人とともに自害した。主著は『社会経済学講義』 Cours d'économie sociale (1884) 。

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