日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラルティーグ」の意味・わかりやすい解説
ラルティーグ
らるてぃーぐ
Jacques-Henri Lartigue
(1894―1986)
フランスの写真家、画家。パリ近郊クルブボア生まれ。1915年からパリのアカデミー・ジュリアンに通い、画家ジャン・ポール・ローランスやマルセル・アンドレ・バシェMarcel-André Baschet (1862-1941)に師事。22年にはじめて展覧会に出品して以来、画家として活動していたが、63年MoMA(ニューヨーク近代美術館)の写真部長ジョン・シャーカフスキーに見いだされ、同館で写真展を開催して以降は写真家として知られた。
ラルティーグが写真を撮りはじめた直接のきっかけは、1901年、当時登場しはじめたハンド・カメラを父親からプレゼントされたことである。記念すべき最初の写真は、別荘の庭で両親にポーズをとらせて撮ったもので、以来写真の魅力に目覚めたラルティーグは、兄弟、親戚、友人などの日常生活をあたかも日記をつけるかのように撮影した。ベル・エポックの華やかな時代にパリ近郊の富裕な家庭に育った彼にとって、写真に撮るための新奇なモチーフは尽きることがなく、持ち運びの簡単なハンド・カメラの特質を生かして、自宅や別荘でのひととき、海辺や競馬場へのピクニック、スキー、自転車レース、自動車レース、グライダー、テニスといったスポーツなどさまざまな場面での一瞬一瞬を、生き生きととらえた。最新のモードを身につけて、楽しげに過ごす人々の軽やかな動きを鋭敏にとらえたラルティーグの写真はユーモアにあふれており、家族アルバムという形式に凝縮されているような、愛しい人々や光景を記録するという写真本来の魅力をあますところなく伝えるものとなっている。
63年のニューヨークでの個展は、写真を撮りはじめて63年目にして初めての展覧会となったが、以降66年には『ラルティーグ写真集――ベル・エポックの家族アルバム』Les Photographies de J. H. Lartigue; Un Album Famille de la Belle Époqueがフランス語版、英語版と相次いで刊行され、続いて70年には、アメリカのファッション写真家リチャード・アベドンによって編まれた写真集『1世紀の日記』Diary of a Centuryが刊行されるなど、70歳を超えたラルティーグはにわかに写真家として国際的に注目されはじめた。とはいえラルティーグ本人は自分のことをプロの写真家とみなしていたわけではなく、パスポートの職業欄にはいつも「芸術家、画家」と記されていたことが知られている。78年にいたるまで幾多の個展を開催し絵画を発表してきた彼にとっての本業とはあくまでも絵画制作であり、写真はアマチュアとして嗜(たしな)むものだったのである。しかし、それゆえにこそ、ラルティーグの視線には、写真の理論や法則に一切しばられないのびやかさが備わっていて、その作品は写真が本来もっている楽しさがあふれるものとなった。
[河野通孝]
『Les Photographies de J. H. Lartigue; Un Album Famille de la Belle Époque (1966, Edita S.A., Lausanne)』▽『Les Femmes (1973, Sté Nlle des Éditions du Chêne, Paris)』▽『Jacques-Henri Lartigue (1976, Aperture, New York)』▽『Richard Avedon ed.Diary of a Century (1970, The Viking Press, New York)』▽『Photographs of Jacques-Henri Lartigue (catalog, 1963, The Museum of Modern Art, New York)』