日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャーカフスキー」の意味・わかりやすい解説
シャーカフスキー
しゃーかふすきー
John Szarkowski
(1925―2007)
アメリカのキュレーター。ウィスコンシン州アッシュランドに生まれる。1948年ウィスコンシン大学卒業(美術史専攻)。卒業後、建築家ルイ・サリバンの研究でグッゲンハイム奨学金を得る。その後ニューヨーク州バッファローのオルブライト美術大学で教鞭をとるかたわら、写真家としてジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館(ニューヨーク州ロチェスター)やウォーカー・アート・センター(ミネアポリス)、シカゴ美術館で展覧会を催す。
1962年、当時のMoMA(ニューヨーク近代美術館)の写真部門ディレクターであった高名な写真家エドワード・スタイケンに後任として引き抜かれる。1991年に引退するまでの30年の間、シャーカフスキーの企画・構成する展覧会や著作はアメリカだけでなく世界の写真をリードした。
シャーカフスキーは、ドロシア・ラング(1966)やアンリ・カルチエ・ブレッソン、ブラッサイ(ともに1968)、ウォーカー・エバンズ(1971)、ダイアン・アーバス(1972)、ハリー・キャラハン、ウィリアム・エグルストン(ともに1976)、アンセル・アダムズ(1979)、ウジェーヌ・アッジェ(1981~1982)、アービング・ペン(1984)やゲーリー・ウィノグランド(1988)といったアメリカおよびヨーロッパの代表的な写真家の個展を次々と開催し、アルフレッド・スティーグリッツが推進したストレート・フォトグラフィ(撮影や現像、焼付けなどの各プロセスで特殊な処理やトリミングを行わず、対象をストレートに描写する作風)、すなわち近代写真を堅固なものとして確立した。
また、着任して2年後の1964年に開催した「フォトグラファーズ・アイ」展ではドキュメンタリーやコマーシャル・フォトグラフィを優れたアートとして取り上げ、アート・フォトグラフィの領域を広げた。1967年の「ニュー・ドキュメンツ」展では当時まだ無名に近かったアーバスやウィノグランド、リー・フリードランダーの3人を取りあげて、個人の視点に基づく新たなドキュメンタリー・フォトグラフィを提唱した。1976年の「エグルストン」展は、カラー写真をシリアスなアートとして認知させるきっかけとなるなど、写真に新たな地平を切り拓く、実験的で賛否両論を呼んだ数々の展覧会を企画・構成している。
1991年にMoMAの写真部門ディレクターをピーター・ガラシPeter Galassi(1951― )にゆずった後も、各地の大学や美術館で講演して後進を指導し、数々の著書を出版するほか、写真家としても活発に活動した。ウィスコンシン大学、フィラデルフィア美術大学、ミネアポリス美術大学、ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザインなどから名誉博士号を贈られたほか、受賞も数多い。
[笠原美智子]
『Photographer's Eye (1964, Museum of Modern Art, New York)』▽『Mirrors and Windows; American Photography Since 1960 (1978, Museum of Modern Art, New York)』▽『Photography Until Now (1991, Museum of Modern Art, New York)』▽『Looking at Photographs; 100 Pictures from the Collection of the Museum of Modern Art (1999, Museum of Modern Art, New York)』▽『William Eggleston, John SzarkowskiWilliam Eggleston's Guide (2002, Museum of Modern Art, New York)』