改訂新版 世界大百科事典 「ランターズ」の意味・わかりやすい解説
ランターズ
Ranters
近代初期のイギリスで〈喧騒派〉と呼ばれ,いわゆるアンティノミアニズム(道徳律廃棄派)の系譜に属する人々のこと。ランターズ運動はピューリタン革命(1640-60)の転換期に興隆した民衆運動であり,近代初期の市民革命の中に起こった民衆反乱であった。近代初期におけるイギリスの社会,文化変動は,郷々や家々を追われた多くの貧民や流民を生み出した。彼らの訴えにこたえるために,多くの平信徒説教師が輩出したが,その多くは移動労働者で,神の召命後,屋外でも屋内でも福音を説き預言を告げて回った。ピューリタン革命に入ると,その中の有力な指導者を中心に広範なセクト運動が展開されたが,革命の転換期に入ると,革命政府は彼らに忠誠と恭順を誓わぬ民衆運動を弾圧しはじめた。このころまでにさまざまな分派から成っていたランターズの内部で,コップAbiezer Coppe(1619-72),クラクソンLaurence Clarkson(Claxton)(1615-67)などの新指導者が台頭し,居酒屋で熱狂的な集会を開いた。彼らは聖書の題材を借りた民俗的な祝祭を復興し,その騒擾の中で,愚行と驚異の演劇,遊戯,歌舞を行い,互いに饗応,愚弄,交歓し合うことで,貧しさを和らげ,罪を赦し,心を結びつけ,そしてまた居酒屋を自由な飲食や救いを試す共同施設に変えようとした。
これらの集会や著書の中で,新指導者たちは,聖霊があらゆる被造物に内在し,被造物がその聖霊と交わって自由になりえ,また名誉と財産を共有して水平化を行い平等で友愛的な世界が到来しうる,と主張した。これに対し,革命政府はランターズをピューリタンの公序良俗に最も反するとみなして,その弾圧を法制化(不敬法,1650)した。これに伴ってランターズは分裂し,激論の末,穏健派が転向し,急進派は革命政府に妥協せず,漂泊者の立場から再編成され,遍歴の拠点である居酒屋にとどまった。革命の後退とともに,ランターズは西インド諸島やアメリカ東部などの海外の植民地に伝播し,聖霊主義的なマグルトン派やフィラデルフィア派に継承された。しかし18,19世紀になると,原始メソディスト派Primitive Methodistなどの偽装の下でランターズは復活された。その隠れランターズの一人がW.ブレークである。
→ピューリタン革命
執筆者:木田 理文
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報