朝日日本歴史人物事典 「リジェンダー」の解説
リジェンダー
生年:1830.8.26
明治時代前期,日本政府の外交顧問。「リゼンドル」,「ル・ジャンドル」,「李仙得」とも。米国の軍人,外交官。フランス貴族の生まれ。米国に移住,帰化した。南北戦争の勇将。文久2(1862)年駐清国厦門領事。明治4(1871)年11月6日,台湾に漂着した琉球船の乗員54人が現地民に殺害されたが,帰国の途次来日した彼は,5年9月外務卿副島種臣に台湾は清国の領土ではないと言明し,台湾出兵が容易で有利であることを力説した。同年11月,外務卿は年俸1万2000ドルで彼を雇用した。6年3月,外務卿に従って清国に赴き,同年4月の李鴻章との会見,日清修好条規の批准交換に陪席した。訪清の最大目的の台湾問題については,現地住民は「化外の民」との清国の言質を得たため,同年10月,征韓論問題で下野した副島に代わって,内務卿大久保利通が出兵計画を進めた。 7年4月5日,台湾蕃地事務局設置,大蔵卿大隈重信を長官とし,リジェンダーは同局准2等出仕として,特に台湾島民の懐柔と清国地方官および各国領事応接に当たった。5月下旬,日本軍の台湾上陸で日清間は国交決裂に瀕したため,7月,リジェンダーは特別弁務使として,この間の事情などを総督李鶴年に説述のため,清国福建省に派遣され,10月31日の北京協約で平和裡に解決した。この他にも,大隈重信らを通じて日本の新聞政策について献策した。1890年4月,朝鮮政府の顧問となり,国王の信頼を受け任を果たした。1899年9月1日,王宮での彼の誕生祝賀会から帰宅後,急逝した。日本滞在中に,もと福井藩主松平春岳の娘池田絲と結婚した。声楽家関屋敏子は孫に当たる。<参考文献>清沢洌『外政家としての大久保利通』,外務省編『日本外交文書』5・7巻,明治年間追補第1冊,伊藤博文編『秘書類纂朝鮮交渉資料』下,渡辺議『関屋敏子の生涯』
(河村一夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報