リトビーノフ(その他表記)Maksim Maksimovich Litvinov

改訂新版 世界大百科事典 「リトビーノフ」の意味・わかりやすい解説

リトビーノフ
Maksim Maksimovich Litvinov
生没年:1876-1951

ソ連邦の外交官。1901年革命運動のかどで投獄されたが,すぐにスイス脱走本国との連絡役として手腕を発揮した。のちイギリスに移り,第1次世界大戦中にはいくつかの国際反戦集会にボリシェビキ代表として参加した。17年の十月革命後,新政権の在英代表となったが,18年強制送還され,ただちに外務人民委員部参与会員に選ばれた。21年以降,外務人民委員代理,ついで30年にはチチェーリンの後を継いで外務人民委員に任命された。その間の1927年には軍縮予備委員会に軍備全廃案を提案した。30年代を通じて〈平和は不可分〉の立場からファシズムに対する集団安全保障の理念の使徒として活躍したが,39年5月に突如解任された。この解任は独ソ不可侵条約伏線であった。41年には党中央委員の肩書も奪われたが,独ソ戦の勃発とともに外務人民委員代理に復帰し,駐米大使(1941-43)の時期をはさんで46年までその職にあった。
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百科事典マイペディア 「リトビーノフ」の意味・わかりやすい解説

リトビーノフ

ソ連政治家。学生時代から革命運動に参加,シベリア流刑となったが逃亡して亡命。1917年ソ連の初代駐英大使。その後は各種国際会議代表を務め,1929年東欧7ヵ国不戦条約を成立させた。1930年―1939年外務人民委員としてソ連の国際連盟加入や軍縮・集団安全保障政策など親西欧・反ファシズム外交を展開してソ連の対外政策に一時期を画した。

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