リバダビア(読み)りばだびあ(英語表記)Bernardino Rivadavia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リバダビア」の意味・わかりやすい解説

リバダビア
Rivadavia, Bernardino

[生]1780.5.20. ブエノスアイレス
[没]1845.9.2. カディス
アルゼンチンの政治家。大統領 (在任 1826~27) 。 1811年三頭政府の官房長官となり,移民奨励,農業の振興などの改革を実施。 21年ブエノスアイレス州政府の内相として永代土地貸与制度,軍隊の整備,教会権限削減,教育の拡充などに尽力。 26年共和国初代大統領となる。しかしその中央集権的政策は連邦主義派の批判を呼び,さらにウルグアイをめぐってのブラジルとの戦争 (25~27) を不利な条件で早期に和睦しようとしたことが国民の不満を買い,27年辞職,ヨーロッパに亡命。 34年一時帰国したがただちに国外追放を宣告され,ブラジルからスペインに行き同地で没した。遺骸は 57年本国に送還され,彼の誕生日は国家的祭日となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リバダビア」の意味・わかりやすい解説

リバダビア
りばだびあ
Bernardino Rivadavia
(1780―1845)

アルゼンチンの政治家、大統領(在任1826~27)。1810年に始まったアルゼンチンの独立運動に参加し、11~12年の第1回三頭政府の長官を務めた。21年ブエノス・アイレス州政府の内務大臣となり、農牧業の振興、ブエノス・アイレス大学の設立、教会財産の削減など啓蒙(けいもう)主義的改革を実施した。26年2月、アルゼンチン共和国の初代大統領に就任し、中央集権的な政策を打ち出した。しかし、連邦派反発を招き、加えて、26年1月に始まったブラジルとの戦争を早期に解決しようとして、ウルグアイ地方を放棄する条約を締結したことが批判を浴び、27年6月失脚した。

松下 洋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例