リバダビア(英語表記)Bernardino Rivadavia

改訂新版 世界大百科事典 「リバダビア」の意味・わかりやすい解説

リバダビア
Bernardino Rivadavia
生没年:1780-1845

アルゼンチンの政治家。ブエノス・アイレス生れ。1806年イギリスの侵略軍と戦い,独立運動,建国の指導者としてブエノス・アイレス市主導の中央集権主義派を指導し,26年リオ・デ・ラ・プラタ諸州連合の初代大統領就任ヨーロッパ自由主義を範として文民主導の政治改革,司法教育・医療制度を整備し国の近代化をめざしたが,中央集権主義派と連邦主義派との抗争のなかで翌年失脚。亡命先のスペインで死去した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リバダビア」の意味・わかりやすい解説

リバダビア
Rivadavia, Bernardino

[生]1780.5.20. ブエノスアイレス
[没]1845.9.2. カディス
アルゼンチンの政治家。大統領 (在任 1826~27) 。 1811年三頭政府の官房長官となり,移民奨励,農業の振興などの改革を実施。 21年ブエノスアイレス州政府の内相として永代土地貸与制度,軍隊の整備,教会権限削減,教育の拡充などに尽力。 26年共和国初代大統領となる。しかしその中央集権的政策は連邦主義派の批判を呼び,さらにウルグアイをめぐってのブラジルとの戦争 (25~27) を不利な条件で早期に和睦しようとしたことが国民の不満を買い,27年辞職,ヨーロッパに亡命。 34年一時帰国したがただちに国外追放を宣告され,ブラジルからスペインに行き同地で没した。遺骸は 57年本国に送還され,彼の誕生日は国家的祭日となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リバダビア」の意味・わかりやすい解説

リバダビア
りばだびあ
Bernardino Rivadavia
(1780―1845)

アルゼンチンの政治家、大統領(在任1826~27)。1810年に始まったアルゼンチンの独立運動に参加し、11~12年の第1回三頭政府の長官を務めた。21年ブエノス・アイレス州政府の内務大臣となり、農牧業の振興、ブエノス・アイレス大学の設立、教会財産の削減など啓蒙(けいもう)主義的改革を実施した。26年2月、アルゼンチン共和国の初代大統領に就任し、中央集権的な政策を打ち出した。しかし、連邦派の反発を招き、加えて、26年1月に始まったブラジルとの戦争を早期に解決しようとして、ウルグアイ地方を放棄する条約を締結したことが批判を浴び、27年6月失脚した。

[松下 洋]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リバダビア」の解説

リバダビア
Bernardino Rivadavia

1780~1845

アルゼンチンの大統領(在任1826~27)。1814年以来外交官としてヨーロッパに駐在し,20年帰国。ブエノスアイレス州を中心とする中央集権体制をめざして,26年リオ・デ・ラ・プラタ諸州連合の初代大統領となる。自由主義の立場から教育・司法改革に着手したが,連邦派は中央集権政策に反発し,またブラジルとの講和条約に反発が高まり,27年辞任した。

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