日本大百科全書(ニッポニカ) 「リプケン」の意味・わかりやすい解説
リプケン
りぷけん
Calvin Edwin Ripken Jr.
(1960― )
アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のボルティモア・オリオールズで遊撃手、三塁手としてプレー。大柄な体格と強打でそれまでの遊撃手のイメージを塗り替え、2632試合連続出場の偉業を達成した「鉄人」である。
8月24日、メリーランド州ヘブレ・デ・グレイスで生まれる。アバディーン高から1978年、ドラフト2巡目指名を受けてオリオールズに入団。1981年には大リーグ昇格を果たした。それまで遊撃手といえば俊足の小兵という固定観念があり、1982年は三塁手と兼任だったが、83年からは遊撃手一本となった。ちなみに1982年は、5月30日から連続試合出場記録がスタートしており、新人王にも選ばれた。また、1983年は打率3割1分8厘、ホームラン27本、打点102の好成績でチームのワールド・シリーズ制覇に貢献し、最優秀選手(MVP)に選ばれた。父カル・リプケン・シニアCalvin Edwin Ripken Sr.(1935―99)は1985年に1試合だけ監督を務めてすでに一緒にプレーしていたが、弟ビリー・リプケンWilliam Oliver Ripken(1964― )が昇格した1987年は、父が監督に再就任したため、一家3人が同一チームにそろった。父は1988年の開幕早々に解任されたが、弟とは92年までと96年に二遊間コンビを組んだ。1991年には、打率3割2分3厘、ホームラン34本、114打点の好成績で無冠ながら2回目のMVPを受賞。1997年からは、守備への負担を考慮して三塁手へ転向となった。1998年9月19日の出場を最後に、自ら出場を拒否して連続試合出場には終止符が打たれた。2001年限りで現役を引退したが、その年のオールスター・ゲームではロサンゼルス・ドジャースの朴贊浩(ぼくさんこう/パクチャンホ)からホームランを打ってMVPとなり、最後の花道を飾った。
21年間の通算成績は、出場試合3001、安打3184、打率2割7分6厘、本塁打431、打点1695。獲得したおもなタイトルは、新人王、最多安打1回、MVP2回、ゴールドグラブ賞2回。2007年に野球殿堂入り。
[山下 健]
『カル・リプケン・Jr.、マイク・ブライアン著、鈴沢一訳『カル・リプケン・Jr. 我が道を信じて』(1998・TOKYO FM出版)』▽『ハービー・ローゼンフェルド著、武田薫訳『カル・リプケン物語 新たなる鉄人』(1997・ベースボール・マガジン社)』