南アメリカ大陸の西縁を南北に走る大山脈。ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンの各国にまたがり、北緯11度から南緯55度にわたって延びる。その長さは約8500キロメートル、北東への延長であるベネズエラ海岸山脈を含めると9300キロメートルに及ぶ。幅は中央部のボリビア付近でもっとも広く、約750キロメートルに達する。西半球の最高峰アコンカグア山(6960メートル)を筆頭に、6000メートル級の山岳や火山を多数もつ。
[松本栄次]
この大山脈は並走する多数の山脈からなっており、それらは数列の山系に大別される。海岸山系はコロンビアのバウド山脈、ペルー南部のイカ台地、チリ海岸山脈など、太平洋海岸に密接して断続的に分布し、チリ南部では沈水して多島海を形成する。西部山系はもっとも連続性がよく、コロンビアとエクアドルのコルディエラ・オクシデンタル山脈、ペルーのブランカ、ネグラの両山脈、ワイワシュ山脈、ボリビアのコルディエラ・オクシデンタル山脈、およびチリ、アルゼンチンの国境をなすアンデス主脈(高アンデス)などから構成される。中央山系はコロンビア北部のシエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタの山塊に始まり、コロンビアのコルディエラ・セントラル山脈、エクアドルの中央地溝帯東側の山脈を経て、ペルーのコルディエラ・セントラル山脈としてマラニョン川上流の縦谷右岸を走り、同国南部で終わる。東部山系はマラカイボ湖を挟むメリダ山脈とペリハ山脈が合してコロンビアのコルディエラ・オリエンタル山脈となり、同国南部で一時消失するが、エクアドル南部のコンドル山脈、ペルー北部のコルディエラ・オリエンタル山脈など2000~3000メートル級の山脈として再生後、ペルー南部からボリビアに至り高度を増し、カラバヤ山脈、レアル山脈となり、5000~6000メートルの高度を保ったままアルゼンチン・プーナ高原の東を限り、同国中部のメンドサ地方に至る。東部山系以東、南アメリカの中央低地帯との間には部分的に1ないし2列の低い副山系が介在する。
これらの並走する山脈相互間には、多くの河谷、盆地、高原が横たわる。おもなものとしては、コロンビアのカウカ川、マグダレナ川の河谷、エクアドルの中央地溝帯、ペルーのマラニョン川、ウカヤリ川上流の縦谷、アルティプラノ高原(ボリビア高原)、チリ中央地溝帯などがあり、それぞれの地方の主要な居住地域を形成している。アンデス山脈に沿う太平洋底には深さ6000メートルを超すペルー・チリ海溝が並走している。
[松本栄次]
環太平洋造山帯の一部をなす山脈で、現在でも地震、火山活動、地殻運動の活発な地域である。プレートテクトニクス(地震や火山などの発生をプレートの相対的運動によって説明しようとする説)の立場からは、南アメリカプレートと南太平洋のナスカプレートとの接点にあたる変動帯で、前者の下に後者が沈み込む所であると考えられている。
地質的には各山系ごとに固有の特徴が認められる。西部山系は中生代以降現在に至るまで一貫して火山活動が盛んな所で、おもに安山岩質および流紋岩質の火山岩や火山砕屑(さいせつ)岩から構成されている。第四紀の火山は、コロンビアとエクアドルの中央山系内に位置するものを除けば、すべて西部山系中にあり、それらは次の3地域に分かれて噴出している。
(1)コロンビアのコルディエラ・セントラル山脈とエクアドルの中央地溝帯両側の地域(コロンビア・エクアドル火山群)。ウイラ火山、コトパクシ火山、チンボラソ火山などが代表的で、活動的な火山が多い。
(2)ペルー南部(南緯15度付近)からチリ、アルゼンチン北部(南緯27度)までの西部山系(中部アンデス火山群)。火山としては世界最高のオホス・デル・サラド火山(6880メートル)をはじめ、ユヤイヤコ火山、サハマ火山など数座の6000メートル級火山を含め600余りの火山が密集する。活動的な火山としてはミスティ火山が代表的であるが、数は少ない。
(3)チリ中部、南緯33度から同44度付近までのアンデス主脈西側斜面(南チリ火山群)。活動的な火山も多く、またビラリカ火山、オソルノ火山などは容姿の美しい火山として知られている。
西部山系がこのように火山性の山脈であるのに対し、これ以外の山系は一般的に非火山性である。中央山系は主として先カンブリア時代および古生代前期という比較的古い変成岩類よりなる。東部山系およびそれ以東の山系は古生代以降さまざまな時代の堆積(たいせき)岩からなる褶曲(しゅうきょく)山脈である。ペルー南部とボリビアの東部山系では、この堆積岩に貫入した深成岩類がカラバヤ山脈やレアル山脈の高峰群(アウサンガテ山、イヤンプー山、イーマニー山など)を形成している。海岸山系は、コロンビアではおもに海成の第三紀層よりなるが、チリ海岸山脈では、先カンブリア時代から古生代にかけての変成岩や堆積岩とそれを貫く花崗(かこう)岩類からなっている。
[松本栄次]
西部山系における長期にわたる火成作用や、他の山系にもみられる深成岩体の形成に伴い、多くの鉱床が生成されたため、アンデス山脈は各種の金属資源に富んでおり、これが植民地時代はもちろん現在でもアンデス諸国の経済の基盤をなしている。主要な鉱山密集地域としては、コロンビア中部の金をはじめとする非鉄金属鉱山地域、ペルー中部のセロ・デ・パスコ周辺の銅、銀、鉛、亜鉛、モリブデンなどの鉱山地域、ボリビアのレアル山脈とその南方延長に展開するスズ、タングステン、アンチモンを主体とする非鉄金属鉱山地域、チリ中部の海岸山脈沿いに延びる銅、鉄、金などの鉱山地域があげられる。このほか、チリ北部から中部のアンデス主脈東斜面には、チュキカマタ、エル・サルバドル、エル・テニエンテなど大規模な銅鉱山がある。
非金属資源としては、石油、天然ガスがアンデス山麓(さんろく)の堆積盆地に相当量埋蔵されている。ベネズエラのマラカイボ湖周辺は世界的大油田地帯である。このほか、コロンビアのマグダレナ河谷、エクアドルとペルーの国境付近の太平洋岸地域、チリ南部のマゼラン海峡地域などでは従来から小規模な油田が開発されていた。1970年以降、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチンなどのアンデス東麓で相次いで石油と天然ガスが発見され、チリを除くアンデス諸国は石油の自給あるいは輸出が可能になった。
チリ北部のアタカマ砂漠に産するチリ硝石およびペルー南部からチリ北部の海岸砂漠でとれるグアノ(鳥糞(ちょうふん)石)は、ともにかつては重要な鉱産資源であったが、現在ではその経済的意義は小さい。
[松本栄次]
経線方向に長く延びるアンデス山脈では、その南北で気候、植生、あるいは人々の土地利用の方法に著しい差異が認められる。このためアンデス山脈は北部アンデス(ベネズエラ、コロンビア、エクアドルに属す部分)、中部アンデス(ペルーからチリ中部サンティアゴ付近までの部分)およびそれ以南の南部アンデスの3地域に細分されることが多い。
北部アンデスおよび中部アンデスの大部分は、緯度的には熱帯、亜熱帯に属すが、著しい高度を有する山岳地帯であるため、気候の垂直的変化が顕著である。慣用的に1000メートル前後の高度幅をもって、下位より、暑熱帯(ティエラ・カリエンテ)、温暖帯(ティエラ・テンプラダ)、冷涼帯(ティエラ・フリア)、パラモ帯またはプーナ帯、および氷雪帯の五つの高度帯に分けられている。
北部アンデスは赤道地帯にあたり、気温の年較差はきわめて小さい。その暑熱帯では気温は年中高く(年平均気温24℃以上)、年中多雨で、熱帯多雨林に覆われている。人の居住には不適な気候で人口密度は低いが、一部でバナナ、ココヤシ、タバコなどの栽培と木材の採取が行われている。ただし、カリブ海沿岸地方およびエクアドル南部の海岸地方は、例外的にそれぞれ半乾燥気候およびサバナ気候となっている。北部アンデスの温暖帯は、年間を通じて月平均気温が20℃前後という常春(とこはる)の気候で、多くの人口を擁し、カラカス(ベネズエラ)、メデリン、カリ(ともにコロンビア)などの主要都市が発達している。コロンビアの主要産物であるコーヒーは、西、中央、東3列のコルディエラ山脈の山腹の高度帯で栽培されている。このほかキャッサバ、トウモロコシ、インゲンマメなどが栽培され、牧畜も盛んである。この上の冷涼帯では、年平均気温が13~18℃で、年降水量は1000ミリメートル前後と少なくなるが、豆類、麦類、ジャガイモ、牧草などが栽培されている。ボゴタ(コロンビア)、キト(エクアドル)などの大都市がこの地帯にある。パラモは北部アンデスの森林限界以上の地域に広がる草原で、ヒツジを主体とする放牧地になっている所が多い。パラモ帯では600ないし1200ミリメートルの年降水量があり、中部アンデスのプーナ帯より湿潤である。北部アンデスでは、一般に4200メートル以上が氷雪帯とされるが、雪線の高さは4700メートル前後であり、チンボラソ火山(6310メートル)をはじめとする5000~6000メートル級の火山やシエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ山(5780メートル)などの高峰は万年雪を頂いている。
中部アンデスでは乾燥気候の地域が広い面積を占める。乾燥地域は、ペルーでは山脈の太平洋側斜面の標高2300メートル以下の部分(暑熱帯、温暖帯)を覆うのみであるが、ボリビア付近では海岸から西部山系を越えてアルティプラノ高原上にまで達する。さらにチリ・アルゼンチン北部国境に沿う地域では山脈全体が乾燥気候下に入り、そのもっとも乾燥した部分にアタカマ砂漠がある。
中部アンデス西麓の海岸地帯は全般的に雨がきわめて少なく砂漠になっているが、沖を北流する寒冷なペルー海流(フンボルト海流)の影響を受け、気温は低緯度のわりに低い。また、大気下層が冷却するため生ずるガルアとよばれる霧や、低い雲に閉ざされる日が多い。この霧と一時的に降る弱い霧雨の水分を吸って矮小(わいしょう)なロマ植生が地表の一部に生育している。ペルー北部のみは、数年ないし十数年に一度、赤道方面から温暖な流れ(エルニーニョ)が南下してきて、大気が不安定になり強い雨が降ることがある。ペルーの海岸地方には、アンデスの高所に降った雨水をもたらす数十の外来河川があり、これに沿う低地や山腹下部には灌漑(かんがい)により耕地が開かれ、サトウキビ、米、ワタ、トウモロコシ、果樹類など多彩なオアシス農業が営まれている。首都リマをはじめトルヒーヨ、チンボーテなど多くの都市が立地し、ペルーでもっとも重要な経済地域をなしている。
これに対して、中部アンデス東斜面の暑熱帯、温暖帯は高温多湿で、熱帯多雨林に占められ、人口希薄地域である。わずかにボリビア北部の温暖帯に相当するユンガス地方がコーヒー、タバコ、柑橘(かんきつ)類、野菜類および古くからのコカ(麻酔薬コカインの原木)の栽培地として、比較的人口の多い地域をなすのが目だつにすぎない。
ペルー海岸地方と並び、中部アンデスで人口が密な地域は、高度2300メートルから4000メートルにかけての冷涼帯に属す山間の河谷と高原である。谷沿いに小集落が連続し、谷の斜面一面に耕地が開かれ、ジャガイモ、ソラマメ、キノア(アカザ科の植物で実を食用とする)、大麦などが栽培されている。アルティプラノ高原北部のティティカカ湖周辺はそのなかでももっとも人口の稠密(ちゅうみつ)な地域である。中部アンデスでは高度4000メートル以上がプーナ帯で、イネ科の草本がまばらに生える草原はヒツジなどの放牧地に利用されている。雪線の高度はペルー北部で4900メートルであるが、南方へ乾燥の程度が増すにしたがい上昇し、ボリビアでは5500~6000メートル、チリ北部では6200メートルに達する。
南部アンデスでは、気候は一般的に湿潤かつ冷涼で森林地帯となっている。強い偏西風の影響を受け、アンデス主脈の西側斜面はとくに多雨で、年降水量3000ミリメートルを超すが、風陰にあたるアルゼンチン側の山麓部は半乾燥気候を呈する。山岳の雪線高度は中部アンデスとの境界付近で5000メートル台から3000メートル台に急降下し、プエルト・モント以南では1000メートル台になり、アンデス主脈の稜線(りょうせん)部は広く氷河に覆われている。とくに南緯46度から52度にかけては大規模な大陸氷河が発達し、氷河は海にまで達する。氷河時代の大規模な氷河で刻まれた急峻(きゅうしゅん)な岩峰や氷河谷が各所にみられ、山岳は険しい様相を呈する。南部アンデスでは、その山中にポルティーヨ(チリ)、サン・カルロス・デ・バリローチェ(アルゼンチン)など若干の著名な保養都市があるものの、中部アンデスのように山間に多くの人々が住むことはない。アンデス主脈と海岸山脈の間に延びるチリ中央地溝帯がこの地方の主要な経済地域となっている。
[松本栄次]
気候帯では、アンデス山脈は熱帯から亜熱帯、暖温帯、冷温帯にまたがり、垂直分布上では、高山帯や氷雪帯をも含んでいる。また地形的には、山脈の東側が広大な平地(とくにアマゾン地域)に占められ、西側が幅の狭い砂漠あるいは疎林地域を挟んで太平洋に接するという特徴から、アンデスの植物は非常に複雑である。少なくとも太平洋岸の乾燥地帯、5000メートル級の稜線(高山帯)、高地草原、東斜面のアマゾンに隣接する地域に成立する雲霧林など、いくつかの植生に分けられる。乾燥地帯には海霧を唯一の水分の供給源としているパイナップル科のチランドシア、サボテン、マメ科の低木がおもな植物であり、高地草原の代表種は、イネ科のハネガヤ属のイチユとよばれる植物のほか、キク科、カタバミ科、セリ科の植物など、雲霧林にはキク科キオン属の巨大な木本とパイナップル科やラン科などの着生植物が豊富である。高山帯にはセリ科、ナデシコ科、クマツヅラ科などの小低木、カタバミ科、リンドウ科、キク科などの植物が地面にへばりついている。高山植物では、橙赤(とうせき)色の花をつけるカヨフォラが特徴的である。
[大賀宣彦]
高山帯にすむ動物はあまり多くないが、ほとんどが厳しい環境に適応した固有種である。家畜のラマやアルパカに近縁のグアナコとビクーナ、毛皮が珍重されるウサギ類のチンチラとヤマチンチラはいずれも防寒に適した絹のような毛をもつ。また、ネズミ類のチンチラ(2種で1科を形成)や鳥類のアンデスヤマハチドリは洞窟(どうくつ)などに入って寒さをしのぐ。空気の薄い標高5400メートルまでいるビクーナの赤血球数は人間の3倍に達する。また、キツツキの仲間でありながら草むらで採食するアンデスアレチゲラ、湖に巨大な巣をつくるツノオオバン、急流で生活するヤマガモなど、変わった習性のものもいる。捕食者には、ワシ類中最大のコンドル、毛の深いアンデスネコとアンデスオオカミなどがある。森林帯には、ヤマバク(4000メートルまで)のほか、新生代第四紀の更新世(洪積世)には北アメリカで栄えていたメガネグマ(2000メートルまで)、齧歯(げっし)類ではカピバラ、ビーバーに次いで大きいパカラナ(1種で1科を形成)など、学術上貴重な遺存種がみられる。
[今泉吉典]
アンデス登山は先住民インカ、アタカマにより古く試みられたと伝えられるが、詳細は不明である。登山史は1736年フランスの科学者ブージェ、ラ・コンタミュらが、チンボラソ山(エクアドル)を中心とした調査を行ったことに始まる。この山は当時世界最高峰とされ、1802年A・フンボルトが南アメリカ旅行中に試登し、1880年にはアルプスで名をはせたE・ウィンパーが初登頂に成功した。なお、1872年には世界最高の活火山コトパクシが征服された。このほかアルプス黄金時代を経たヨーロッパ登山家により多くの山で初登頂が試みられ、1897年A・フィッツジェラルド隊がアンデスの最高峰アコンカグア山、翌1898年にはW・M・コンウェー隊がイーマニー山に挑戦し、いずれも成功している。1932年にはドイツ・オーストリア隊によりブランカ山群(ペルー)のワスカラン山、ワンドイ山が征服された。
第二次世界大戦後、世界登山界の目がアンデスに集中し、1952年以後クロード・コーガン夫人らのサルカンタイ山、日本登山隊(田中薫隊長)のアリナレス山、竹田吉文らのアウサンガテ山登頂をはじめ多くの登山パーティーが毎年送られた。これはネパール・ヒマラヤが1965年に一時登山禁止の処置がとられたことも影響している。アンデスは南北に連なる長大な山脈のためまだ未踏峰も多いが、最近ではアコンカグア南壁などバリエーションルートの登攀(とうはん)も行われている。
[徳久球雄]
『藤木高嶺著『インディオの秘境――ペルー・アンデス登山と探険』(1962・朋文堂)』▽『加藤幸編『アンデスの白い鷹』(1967・あかね書房)』
南アメリカ大陸の西側を縁どる長大な山脈。トリニダード島に面するベネズエラの海岸から始まり,フエゴ島まで,地球を1/4周する1万kmもの長さを持つ。アンデス山脈を領土として持つ国は北からベネズエラ,コロンビア,エクアドル,ペルー,ボリビア,チリ,アルゼンチンの7ヵ国である。ほぼ北緯10°から始まり,赤道を横切り,南緯55°まで続く山脈であるから,熱帯偏東風多雨帯,亜熱帯乾燥帯,中緯度偏西風多雨帯という主要な気候帯を縦に貫いており,一口にアンデスといっても地域による気候の差は著しい。また山脈中央部の6000kmにわたって,4000~7000mもの高度を保っており,山麓部がたとえ熱帯雨林となっていても,5000mもの山頂部には氷河が分布するなど,高度による気候の差が大きく現れている。このような気候の分布を反映して植生や土壌の分布が決まっており,さらにそこに住む人々の生活にこのような自然環境が大きな影響を与えている。アンデス山脈には,ここを主要な生活の場として農業を営んできた住民インディオがいる。彼らは伝統的な大規模な灌漑システムを通じて高度な文明を誇ってきたが,16世紀にスペインの植民地となり,独立後も政治的・経済的・文化的に少数派の白人階級の影響を強く被っている。アンデス諸国の公用語はスペイン語で,農村部の日常語はおもにケチュア語あるいはアイマラ語(チチカカ湖周辺のみ)である。スペイン語はひじょうに広く普及しており,自動車道のあるような集落ならどこでも通用する。
この地域は日本列島と同じように,太平洋をとり囲む,海洋プレートの沈み込み帯に位置している。しかし西太平洋の島弧とは異なり,海洋プレートが大陸の下に直接もぐり込んでいて,そこにアンデス山脈が形成されている。ペルー,チリの沖の太平洋東縁には深さ5000~7000mのペルー・チリ海溝があり,アンデス山脈中央部の主脈との間に,1万mを超える高度差を生じている。爆発型の活動をする活火山を含む多数の火山が分布し,他の若い造山帯同様,大規模な地震が多い。
アンデス山脈の幅は平均300kmくらいで,山脈の方向が強く屈曲し幅が最も広くなるボリビアでも600kmくらいしかない。ロッキー山脈に比べて,幅は狭いが高度はむしろ高く,しかも連続している。3000m以下の峠が現れるのはチリの南部のみで,大まかに見れば,アンデス山脈は細長い高原状の山脈であるといえる。主要な河谷は地質構造に支配されて山脈の走向と平行して形成され,ペルー以北の降水量の多い地帯では河谷が深いため,山地は大きな起伏を持つ。それに対して,ボリビアやチリ,アルゼンチン北部などの乾燥地帯では,河谷の発達が貧弱でしかも浅い。そのため起伏の小さい卓状の高原となっている。
アンデス山脈は海岸山脈,主脈,前山脈の三つの列からなる。海岸山脈はチリで最も顕著に発達し,起伏の小さい丘陵状の山脈で,海とは直線的な急崖で接していることが多い。主脈との間は中央縦谷と呼ばれる構造的な凹地で,主脈から流下する河川堆積物で埋められた堆積平野となっている。チリの首都サンチアゴがここに位置するほか,同国の主要な農業生産活動の場となっている。またチリ北部の砂漠地帯では,チリ硝石が広く堆積し,アンモニア合成の成功以前は世界の重要な窒素資源であった。
アンデスの主脈は東西二つの山系からなっている。東アンデス(オリエンタル)山系は主として古生代の海成層とそれを貫く深成岩類よりなっている。オリノコ川,アマゾン川などの支流によって深い谷が刻まれ,大起伏山地となっている。一方西アンデス(オクシデンタル)山系は高原状の山地で深い河谷は少ない。高度は東山系よりやや低いが,その上にさらに1000~2000mの比高を持つ成層火山を載せているところが多い。
ペルー南部からボリビアに至る中央アンデスでは東西両山系の間に細長い凹地が形成されている。しかしこの地域は降水量が少ないので内陸流域となり,淡水湖であるチチカカ湖や氷期の湖(約5万km2)が干上がったウユニ塩原などが見られる。その周囲には高い(3500~4500m)平たんな平野(アルチプラノ)が形成されている。ペルー南部からボリビア北部にわたるこの平たんな地域はアンデス高地文明の中心であり,インカ帝国の首都であったクスコをはじめ,チチカカ湖の周囲の町や村のように先植民地時代から続いているものが多く,人口密度も高い。ボリビアの首都ラ・パスはアルチプラノの一隅の深い谷の底に位置している。
アンデス主脈部では中生代から第三紀にかけて火成活動が活発であった。それは現在貫入深成岩類として東西山系に広く認められ,アンデスの豊かな鉱産資源は主としてこの時代の火成作用によって形成された。高山地域では伝統的な農業のほかに鉱業が重要な地位を占めており,ペルーの銅,銀,ボリビアのスズ,タングステン,チリの銅,鉄などが知られる。
アンデス山脈の東縁に分布する前山脈は陸成の第三紀までが含まれる若い褶曲山脈である。ペルー,ボリビアなどではこの地帯に石油の埋蔵が確認されており,一部は開発されている。アンデス地帯で大規模に開発された油田としてはベネズエラのマラカイボ湾岸のものをあげることができる。このほか大陸南端部のパタゴニア,最西端のタララ半島(ペルー)などで小規模な油田が稼行している。
アンデス山脈は連続して4000mを超える高度をもっているため,大気の循環とそれによって決まる気候に大きな影響を与えている。障壁となっている山脈の東西での気候の差はきわめて明瞭である。オリノコ川,アマゾン川流域に面する山脈の東側では,偏東風の影響を受けて一般に一年中きわめて多雨である。しかし赤道付近に至るまでは1月を中心とする小さな乾季がみられる。また偏東風による夏の降雨の限界は南緯30°くらいまで南下する。南緯30°以南のアンデス山脈の東斜面は偏西風の雨かげとなるため一年中乾燥した気候となり,北は乾燥パンパ,南部はパタゴニアの平原に続く乾燥地帯となり,羊や牛の放牧地として利用されている。
一方,山脈の西側の太平洋に面する地帯の気候は,北から熱帯多雨,亜熱帯乾燥,偏西風多雨という配列になっているが,その緯度分布はかなり異常である。それは南太平洋上に強力な亜熱帯高気圧が一年中安定して存在していることと,ペルー・チリ海流(フンボルト海流)とそれに伴う湧昇流のため,海水温が緯度の割に非常に低いという二つのことに原因がある。コロンビア領アンデスの北斜面ではカリブ海方面に発生する湿った偏西風のために一年中多雨で,年降水量も1万mmを超えるところさえあり,高温多雨のため熱帯雨林となっている。ところがエクアドル以南では,寒流のため太平洋沿岸地域で気温の逆転が生じ,一年中降水がなく,赤道近くから早くも砂漠が始まっている。この海岸砂漠はペルーを経て,チリの南緯30°付近まで続く。アンデス山脈の高地に起源を持つ大きな川の流域の低地だけがオアシスとなっているほかは,ほとんど一木一草もない完全な砂漠である。南緯30°から40°の間は,典型的な冬雨・夏乾燥の地中海式気候となっている。乾燥の程度に応じて植生は灌木疎林~森林となっており,チリの主要な農業地帯(ブドウ,小麦など)となっている。南緯40°以南のアンデス西斜面は偏西風のため一年中降水があり,アラウカリア,ノトファグスなどを主とする密な広葉樹林に覆われている。
執筆者:野上 道男
アンデスの登山史は17世紀にスペイン人がペルーのミスティに登山したのが最初といわれるが,1736-44年にかけてフランスのブージェ,ラ・コンタミーヌらがエクアドルの火山帯に科学調査を行ったことに始まるといってよかろう。当時はヒマラヤの高峰が知られていなかったので,この隊はエクアドルのチンボラソ山を世界最高峰と結論し,ヒマラヤや南アンデスの正確な高度が知られるまで,しばらくはこれが世界の通説となっていた。そのため,この山の登山が多く試みられ,ドイツの地理学者A.フンボルトやフランスの農芸化学者ブザンゴーなども登頂を試みたが果たさず,1880年イギリスの登山家E.ウィンパーが初登頂した。アンデスの最高峰アコンカグア山は,83年ドイツのギュスフェルト隊が挑んだが,97年イギリスのE.A.フィッツジェラルド隊のS.バインズとM.ツルブリッゲンによって初登頂された。20世紀に入り,ペルー,ボリビアのアンデスの登山も盛んとなり,1908年アメリカのA.S.ペックによるペルーのワスカラン北峰登頂,32年ドイツ・オーストリア隊によるペルーのブランカ山群への2回の遠征などがあるが,まだ未登の山も数多く残されていた。第2次大戦後,一時,ヒマラヤの登山禁止の影響もあって,登山家の目がアンデスに注がれ,とくに50年以後未知の地域が次々と開拓されていった。日本人登山家もアンデスに遠征し,53年早稲田大学の関根吉郎隊がアコンカグア,58年神戸大学の田中薫隊がアレナレス,59年竹田吉文隊がアウサンガテに登頂したほか,多くの登山隊が遠征している。さらに近年,アコンカグア南壁などのバリエーション・ルートよりの登山も盛んになりつつある。そのほかアンデスのインカ遺跡の発掘などにも,東京大学の泉靖一ほか多くの研究者・登山者が訪れている。
→アンデス地方 →アンデス文明
執筆者:徳久 球雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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