日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナスカ文化」の意味・わかりやすい解説
ナスカ文化
なすかぶんか
西暦1~700年ごろ、ペルーの南海岸に栄えた文化。中心地はナスカNazca谷とイカ谷で、ナスカ谷にはカワチという大遺跡が残っている。先行したパラカス文化(前500~後1)と同様、ナスカ文化の遺物の大半は、地下深く掘ってつくった墓の副葬品である。出土品には、人物・動植物などが描かれた浅鉢、深鉢、橋付双注口壺(つぼ)などの多彩色土器のほか、土偶、太鼓などがある。織物は綿とアルパカ毛を材料として、平織、綴(つづれ)織、刺しゅうその他の技巧が施され、その色鮮やかなできばえは、アンデス文明の諸文化のうちでも最高の位置を占める。頭飾、腕輪などの金細工も多い。イカ谷とナスカ谷の間にある広い台地の上の砂漠には有名な地上絵がある。これは、地表の小礫(れき)を除いてその下にある砂を露出させ、1キロメートル余の直線や、翼が長いもので300メートルにも及ぶ鳥や、そのほかサル、クジラ、魚、渦巻、トカゲ、クモなどを描いたものである。小さいものでも20メートル以上あり、地上からは線の存在は識別できても図像全体を見ることはできない。その目的や機能については、儀礼と関連した天体観測の意味があったとも考えられるが、まだ解明されていない。
ナスカ谷には地下水路もあり、南海岸の平野は灌漑(かんがい)によって開発されていた。ナスカの勢力範囲は南海岸であったが、その文化の影響はボリビア高地からペルー中部高地南部に認められ、交易範囲はかなり広かった。700年ごろナスカ文化は衰え、中部高地南部の新興のワリ文化の支配下に入ったと思われる。
[大貫良夫]
『L・G・ルンブレラス著、増田義郎訳『アンデス文明――石期からインカ帝国まで』(1977・岩波書店)』▽『S・ワイスバード著、植田覺監訳『ナスカの地上絵――アンデスの謎の鳥人伝説を追う』(1983・大陸書房)』